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外交評論家 加瀬英明 論集
安土桃山時代に来日したキリシタン宣教師のフランシスコ・ザビエル(一五〇六~五二年)は、「日本人は男女問わず、みな読み書きができる。庶民に文盲が、ほとんどいない」と、ヨーロッパのイエズス会本部に報告している。みなというのは、やや誇張があったろうが、このころヨーロッパの庶民といえば、ほとんど全員が文盲だったから、実際だったに違いない。
ザビエルは中国も知っていたが、「ヨーロッパの外で、日本人ほど優れた民族はいない」と称賛して、「この国はわが魂のよろこびだ」とさえ、書き送っている。同じ時期にイエズス会士として、安土にセミナリオを開いたオルガンティーノ(一五三三~一六〇九年)も、「私は世界のなかで、かくも聡明で、明敏な人々はいないと、考えるに至った」と、記している。
もっとも、その二世紀以上後に幕末の日本に着任したアメリカ初代領事のタウンゼント・ハリス(一八〇四~七八年)も、「日本人は喜望峰以東のいかなる民族よりも、優秀であることを繰り返していおう」と、書いた。
江戸末期には、明治中期の研究によれば、全国に一万五千軒以上の寺子屋が存在していたという。この数字がどこで信頼できるものか、分からないが、数万件にのぼったという説もある。私は数万軒あったというほうが、正しいと思う。
日本はそのたえに明治へ入ると、全国にわたって寺子屋が、整備されていたために、小学教育をアメリカよりも早く、義務化することができた。寺子屋に「辱尋常小学校」の看板を掲げているだけで、すんだからだった。
明治五(一八七二)年に、「小学校ハ(略)人民一般必ス学ハスハアルへカラス」という布告が発せられた。その三年後に全国にわたって、二万四千校の小学校が一斉に設けられた。児童の就学が義務化されたが、義務教育は兵役、納税と並ぶ国民の「三大義務」の一つとされた。
福沢諭吉は「明治八年文部省第三報には、全国の人口大数三千四百万にして、小学生徒の数凡そ、二百万とあり。即ち人口十七人付き学生一人の割合にして、(略)日本人の性質よく学問に適当して、祖先遺伝の教育あるに非ざれば、何を以て俄にこの盛大を致すべきや」(『通俗国権論』と、書いている。
アメリカは広大な大陸を、幌馬車を連ねて、西へ西へと拡がっていった。小学校を設置するためには、教員も、建物も必要だった。ところが、日本では全国にわたって、寺子屋や、藩校が存在していたから、看板を掛けかえさえすればよかった。寺子屋の一部が私設小学校にもなった。
アメリカでは二十世紀に入った時でも、義務教育の対象となる児童の十%が、就学することができなかった。そこで、字を読めないまま、育った児童が多かった。
明治以降の日本の目覚ましい発展は、日本国民の教育水準が高かったことによって、もたらされた。
徳の国富論 資源小国 日本の力 第三章 寺子屋と七千種の教科書