トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ ダイアナはイギリス人として皇太子になった二人目
外交評論家 加瀬英明 論集
イギリス王家は、一九〇一年までハノーバ家を称していた。その最後の当王が、ビクトリア女王(在位一八三七~一九〇一年)だった。夫君のアルバート殿下は、やはりドイツの王族だった。ビクトリア女王が死去すると、息子のエドワード皇太子が即位してエドワード七世になったが、父親が出身した王家の名をとって、サックス・ゴバーク・ゴーだ家に改めた。
ところが、第一次大戦が起こると、ドイツと戦うことになった。王家にドイツ名がついていては具合が悪いので、イギリス王家の最も大きな城であるウィンザー城の名を借りて、ウィンザー家に改めた。
イギリス王家は代々「ガッド・アンド・マイ・ライツ」を標語としてきた。「神とわが権利」とでも、訳すべきだろう。王家は気儘に振舞ってもよい、という意味である。ところが、ビクトリア女王の治世から、ロシア革命的な勢いが強まった。イギリス王家とロシアのロマノフ家は縁戚関係にあった。急進派による皇帝暗殺未遂や、高官の暗殺が続き、一八八一年に皇帝アレキサンドル二世が暗殺され、ヨーロッパの王家を震え上がらせた。
そのために贅沢残間に耽ることを慎んで、真面目な生活を送るように努めようということになって、イギリス王家のありかたが変わった。それでも、今日、イギリス王家はかなり放縦な生活を送っている。共産主義が破産して、脅威でなくなったこともある。チャールズ皇太子はダイアナ妃と離婚して、長年の愛人だったカミラ夫人と再婚した。
ダイアナ妃はイギリス王家で、イギリス人として皇太子妃となった二番目の女性だった。その前のイギリス人の皇太子妃といえば、エリザベス女王の母に当たるエリザベス皇太后だった。
ヨーロッパでは政略結婚が盛んに行われたから、どの王家も血がつながっている。エリザベス女王の父の代に国王が実権を失い、君臨しても統治しなくなった。そのために自国の娘を、皇太子妃として迎えることができるようになった。エリザベス皇太后は、ブリテン島スコットランドの出身だった。
徳の国富論 資源小国 日本の力 7章 神事と歌を継ぐ天皇