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外交評論家 加瀬英明 論集
さて、ロゲンドルフ神父と久し振りに座談会で会った話に戻ろう。私は日本にはラテン型の政治家と、ゲルマン型の政治家がいるのではないか、といった。ラテン型には田中角栄氏や、河野洋平氏が入る。田中氏や、河野氏は人々のイライラとした夢や、情念を吸いあげる風雲児であり、人々の衝動的な願望を満たそうとする。彼らは騒々しい。これに対して福田赳夫氏や、宮沢喜一氏といった官僚出身の政治家は地味であるが、落ち着いている。福田氏は、どこか田舎の高等学校長を思わせるような、風采があがらないところがある。ゲルマン型の政治家は、なかなか人気がでない。このように二つの型があるのではないかというと、ロゲンドルフ神父は目を丸くして、「ほう、それはおもしろいですね」といって、愉しそうな表情をした。
新自由クラブ、社会市民連合、革新自由連合といった、これまで新聞にもてはやされて登場した新しい政治集団は、ラテン型なのだろう。日本人のなかにある、がやがやとしたラテン的な他党分化型の体質から生まれたものである。というよりも、これらの新しい政治集団は新聞によってつくられたものであったが、日本では大新聞はラテン型である。新聞はグラマン、ロッキード事件をとっても(石油ショック、日中国交正常化と何をとってみてもよいのだが)、これらの新しい政治集団をとっても、騒々しく、バランスを欠いた流行をつくりだすことが多すぎる。お祭騒ぎを好むのだ。しかし、このあいだの時も選挙の結果をみれば、選挙前に新聞はこれらの新しい政治集団に大きなスペースを割きすぎたと、いえよう。革新連合政権時代が到来するということが、数年前にはさかんにいわれたものだったが、選挙のたびに国民が自民党に絶対多数を与え続けることによって、ゲルマン型の政治を選ぶことを示している。ゲルマン型は二大政党(あるいはせいぜい三つの主要な政党)制度という形をとり、大きな巖のように、しっかりとした安定を求める。グループのなかのルールを重んじるということで、保守的である。ゲルマン型の国民のあいだでは騒々しく、急激な改革を求めるような革新勢力は、なかなか力を持ちえない。
個性の時代 ミーイズムのすすめ 9章「民主主義」に潜むもの