社会
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迷走を繰り返した東京五輪もついに開幕したが、これまでの経過を見ていると、まだ何かトラブルが起きそうとさえ思えてくる。開幕直前の騒動は、開会式の楽曲制作担当の1人だったミュージシャン小山田圭吾氏の辞任と、開会式演出担当の元お笑い芸人の小林賢太郎氏の解任だ。2人とも過去の発言が問題視された。
小山田氏は少年時代に障害のある同級生たちをいじんめていたという話を、1994年と翌年に音楽2誌のインタビューで自慢げに語っていたのだ。爆笑問題の太田光氏は7月18日のTBS『サンデー・ジャポン』で「当時の雑誌がそれを掲載、許容し、校閲を通っている」「その時代の価値観を知りながら評価しないとなかなか難しい」と語った。過去の自分の発言を振り返りながらの言葉だったが、ちょっと違和感があった。
太田氏に対しては文芸評論家の斎藤美奈子氏が21日の東京新聞のコラムで「その時代にもいじめを許容する価値観など断じてなかった。差別に関しては今より厳格だったとすら言える」と反論している。当時、出版社の編集部門に在籍していた私も同様な感想を抱いている。差別とは無縁と思われた編集部の出版物が人権団体から槍玉に上げられたことから、全社的にこの問題に取り組むことになり、研修会も実施された。部落解放同盟から派遣されてきた講師は、単に言葉狩りをしようというのではなく、差別に向き合う出版人の姿勢が問題なのだと訴えていた。
小山田氏の発言は、読者も発行部数も限られた音楽雑誌ということで、たまたま見過ごされたのかもしれない。斎藤女史はナチスのガス室はなかったという記事で文藝春秋社の『マルコポーロ』誌が1995年に廃刊に追い込まれた例をあげているが、奇しくも開幕式前日に解任された小林賢太郎氏の失脚理由はユダヤ人大量虐殺をコントで揶揄していたことだ。
このような人選ミスは東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の杜撰さに起因する。ここに至って、前会長の森喜朗氏を同委員会に復帰させ、名誉最高顧問にする案が浮上している。森氏は今年2月に女性蔑視発言で会長を辞任した経緯がある。さすがに政府は難色を示しているようだが、救いがたきは大会組織委員会だ。
山田洋