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外交評論家 加瀬英明 論集
庶民も、知識欲が旺盛だった。農民も繁昌する都市文化に巻き込まれたから、農村が取り残されていたわけではない。読み書き、計算ができなければ、農業が発展しなかった。
農民は徳川時代から明治にかけて、日本の人口の圧倒的な多数を占めていた。明治以後の日本が、白人の支配のもとにあった世界において、急速に興隆することができたのは、どの国よりも農民の知的水準が高かったからだった。
農民は農業技術の向上に、努めた。多くの農業者が現れた。江戸時代は大開墾時代であったとともに、とくに鉄の精錬法が発達したことによって、農具が改良された。
元禄10(1697)年に刊行された『農業善処』をはじめとして、農具の改良、農事の工夫、水田と畑の土壌、堆肥、水利、適地適作の栽培、地形、気候、品種、作業時間の割り振りなど、詳細な知識が述べられた、おびただしい種類にのぼる農業技術書が出版され、流通していた。
農作業を絵によって解説した、多くの「絵農書」があった。
安政年間(1854~59)に、『農民竃建往来』という往来物が、出版されている。
農村における子育てについて、詳しく述べているが、羊羹、柚干、饅頭、金平糖、小落雁、煎餅、角飴、外郎餅などの、30種以上の菓子をあげて、子供たちが甘味の強い菓子類を摂りすぎてはならないと、戒めている。農村生活が豊かだったことを、窺わせる。
庶民も知的な好奇心が強く、識字率が高かったから、当時の世界で日本ほど、多くの点数の書籍が出版された国はなかった。
福沢諭吉は幕末からアメリカとヨーロッパへ3回渡航して、海外事情に通じていた。福沢は明治11(1878)年に刊行した『通俗国権論』のなかで、「凡そ国の人口を平均して、字を知る者の多寡を西洋と比較しなば、我日本をもって世界第一等としょうするものなり(略)日本国内、古より筆、紙、墨の製造商売は最も盛にして、田舎にても僅かに市ゆう(注・町)の形を成す処には必ず之を売る者あり」と、述べている。
江戸時代中期である天保年間(1830~43)に出版された『江戸繁昌記』によれば、江戸には貸本屋が「貸本戸八百」といって、800軒もあった。当時の本は高価だったので、貸本屋が繁昌した。
書籍の版木出版が商売として成り立ったので、教養書、実用書、娯楽書、好色本などのおびただしい点数が刊行されて、人々の読書欲をみたした。
実用書は、胎教から、子育て、健康、家庭料理、裁縫、園芸、観光案内、釣りまで、あらゆる分野にわたっていた。
出版は、江戸や、大阪、京都の主要な産業の一つとなっていた。新刊書を発行する時には、奉行所に届け出なければならなかったが、書籍の影響力が大きかったことを示している。
日本の庶民は、江戸時代以前から、識字率が高く、知的な欲求に溢れていた。その素地が、江戸の繁栄のなかで、花開いたことになる。
(徳の国富論 3章 寺小屋と七千種の教科書)
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