コラム …埼玉の余話
・さいたま市長選が終わって10日も過ぎれば、いろいろな話が出てくる。例えば、大宮の話。何で現職の票があんなにも低かったのかという答えについて。つまり、あまりにも現職が大宮を冷遇視した結果だと、あるOBが言う。
その例として、旧浦和、旧与野、旧大宮とわけた場合、技術系では、与野、大宮、浦和の順でその優秀さの順位がつくのだが、いつも浦和を優先し、そのことが、全てにいきわたっていたという。合併の難しさだが、改めて、浦和だ、大宮だというこだわりを捨てて、”さいたま市”一本の公平感でスタートしてもらいたい。清水市長の力量の見せどころだ。
・いつの世も、どの組織も、人事が一番難しい。人事が上手くいけば7割上手くいく筈だ。さいたま市の人事も、実力主義と公平感を持って断行することだ。すでに現職を支えてきた連中のなかには、”何をするか、お手並み拝見だな”という冷めた連中が陰口をたたいていると言う。市民が主人公で、その市民によって選ばれた市長なんだから、臆することなく良き人事を行ってほしい。
・道州制を近い距離と視野において進めることが大事だ。政令市は道州制の生命線だからだ。だがはたして、現在のさいたま市のお役人幹部にどれだけの人が、そんな視点を持ちそなえているのかなと思うと心配になってくる。役人イコール官僚だ。役人なくして行政ははじまらない。外部からの登用も含めて、刷新の実をみのらせることに全力を尽くすことだと思うが。
・小子がとっくに示していた通り、今回のさいたま市長選ぐらい、表と裏があった選挙はない。現職を薄く評価しながら、裏では若い候補を思っている---だから、よほどすぐれたブレーンがいない限り現役は現実が見えなくなってしまうものだ。すべて他山の石とすべき選挙戦だった。
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