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埼玉の余話
コラム歴40年、埼玉の政治文化を知り尽くした編集長によるスパイシーコラム
新着記事
- 埼玉の余話 2011.8.18(2011年08月18日)
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・政治家ばかりではなく、一個人も生きていく中で大事なことは誠実さだ。たとえば、留守電が入っていたら必ず返事をする。手紙をもらったら返事を出す。出せなかったら、せめて電話で礼を言う。----こんな些事をなぜ守れないのだろうか。絆という言葉が今日ほど叫ばれている時はないが、絆の基は些事な事への心配りにあることを、もっと我々は学ばなければ政治家を批判する資格はない…
- 埼玉の余話 2011.8.17(2011年08月17日)
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・県北に住むB氏は、(元)地方公務員。真面目に務めあげて、環境部長や福祉部長という要職にも就いた。60年で定年を迎え、ある事業に着手。しかし、実業の道は厳しい。安穏とした公務員の生活とは著しい乖離があった。そして1年で廃業した。「人の気持ちが全くわからなくなった。俺は他人の心を善意でしか受け止めなかった。とにかく人間は嫌いだ」が口癖となっていった。挙句の果て…
- 埼玉の余話2011.8.15(2011年08月15日)
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・天才といわれる人には数人ぐらいしか会っていない。この人達は理屈を越えて凄い。凡人の考えの及ばないことを考え、実行している。たとえば、物理や数学といった類の難問も平気で解いて、あとはしゃらっとしている。聞けば、その域に達するまで、そんなに努力した覚えがないという。では何か?生まれつき、もって生まれた才というものがあるのは確かだ。しかし、果たしてそれだけか。や…
- 埼玉の余話 2011.08.12(2011年08月12日)
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・「法人会」といえば、それなりに名の通った団体であるはず。健全な納税者の団体、良き経営者を目指すものの団体が謳い文句となっている。しかし、自分の会社は既に倒産し、新たな経営者が再建したにも係わらず、依然として御自分は法人会にその名を留め、部会の会長となっている。これはどのように理解したらいいのか。その人を知る人の中には「さすが、やり手だ」と皮肉とも評価ともつ…
- 埼玉の余話 2011.8.4(2011年08月04日)
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・知事選が終わって、不可思議な県議たちの言動が目立つ。「県民の20数%しか支持を得られないようでは、上田知事は信任されたとは言えない」等々。待てよ、では自民党や民主党はあれだけ堂々と上田氏を推薦していたのだから、あなたたちも信任されていないということにならないだろうか。政界はまったく無責任の海だ。 ・海といえば、政界深海魚がまたまた勢いを増して小…
- 埼玉の余話 2011.05.11(2011年05月11日)
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・各市町村で臨時議会が開かれている。お決まりの議長選。意外と忘れられているのは議長の任期は市長と同じ4年だということ。しかし実際は1年交代がほとんどだ。一身上の理由ということで前議長が辞職し、そして次なる1年制議長が誕生する。もちろん統一選最初の議長は別だ。何故議長の任期が市長と同じかということは、二元代表制における一方の議会の重要性と重厚性を意味している。…
- 埼玉の余話 2011.05.10(2011年05月10日)
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・県議や市議達にとってブログという武器?はどのような効用があるのか。自分の力不足を嘆き、自分の思いを美化し、困苦難航をオブラートに包んで逃避しているようにみえてならない。というよりそんな姿が映っているのがどうも鼻につく。自分の至らなさなんか他者に公表することはないのだ。むしろこらえて自らのバネとして重厚な人間になることだ。ブログで戦う?のは邪道だ。堂々と街頭…
- 埼玉の余話 2011.05.09(2011年05月09日)
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・普段は民主党・無所属の会に所属し、選挙になると民主党の看板をいっさいおろし完全無所属を装って、当選すると再びもとのサヤに.おさまって、しかも最高幹部となるこの厚顔。だから政治家は信用されないし、このような党や会派に不信感を持つのは当然だ。県民の血税を食み、何という情けない輩なのか。 ・たとえ議会内で少数派であっても、多数派が一目も二目も置く会派や政…
- 埼玉の余話 2011.04.14(2011年04月14日)
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さいたま市議選における自民党議員は完勝に近かった。なかでも最長老78歳の福島正道氏、ドン青羽健仁氏の戦いは見事。当初苦戦を伝えられたが昔からの固い地盤は揺るがなかった。人間の輪を最も大切なものとして活動してきた結果だろう。しかし、ならばその栄光を議場でしっかりと示すべきだ。強者の貫禄と誇りを身をもって示すべきだ。何でもかんでも公明や共産までまきこんで決…
- 統一選 埼玉の余話 2011.04.13(2011年04月13日)
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・戦い済んで日が暮れて、敗者は呆然として過去を悔やむ。散っていく桜に自分をなぞらえて「ああ、俺も散ったのか」と。現役から落ちて再度挑戦し、また敗れたN氏は「油断があった」と嘆いている。しかし、油断は前回も同じだった。どうやら油断というのはその人の性格によるものが多く、かなりの病なのかもしれない。 ・これまた、市議から県議に挑戦、敗れて再度挑戦し憂き目…
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