トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 下級武士にあった強靭な精神力
外交評論家 加瀬英明 論集
昭和四十七年の日中国交正常化のブームもそうだったが、昨年八月の日中条約をめぐる中国ブーム、昭和五十一年のロッキード騒動から、この春のグラマン騒ぎをみても、一つの流れがつくられると、日本の国民は付和雷同して、押し流されてしまう。このように全国民を一色に染めあげてしまうような流れには、東京オリンピックから、東京サミットまである。なかには正しい流れもあるかもしれない。しかし、日本を破滅に導いた邪な流れもあった。日中戦争から無謀な太平洋戦争に突入するまでの流れが、そうだった。
このような流れに容易に身を委ねてしまうというのは、日本の国民が持っている大きな弱点である。一つのことに国民の関心が集中する。これは個人が確立されていないからである。一人一人が自分に自信を持っていないので、流れに敏感になる。世界のなかでも、このように流れが生まれては消え、消えては生まれる国は日本だけである。わが国の大きな特徴である。「独立の気力」から生まれる「一身の独立」が欠けているのだ。いったい一人で、自分が信じるところを堂々と主張できる者が、どれだけいるだろうか。私たちが堂々とという時には、残念なことにその者が話している時に、周囲の状況からみて堂々とみえるのかどうか、ということにかかっている。一人の者が勇気を持って自ら信ずるところを訴え、周囲に無視されるか、嘲笑されたとしたら、私たちの眼には堂々とは映らないものだ。しかし個人を基点とすれば、その人は笑われようが堂々としているのである。
日本にも、こういう伝統はあったはずである。武士がそうであっただろう。武士は自分を尊んだ。元服をすませれば、自立することが求められたので、自分を強く意識し、自分の行動に対して責任を持った。もっとも武家社会も、集団を中心にして営まれていた。そこで責任をとるといっても、組織を守るために、責任をとらされて、自決することが多かっただろう。組織のためにしばしば自己犠牲を強いられたのだった。
しかし武士は集合体の一員としてだけでなく、個体としての責任感を持っていた。そして、このような長所は、とくに幕府や、藩という組織にしっかりと組み込まれていなかった下級武士のあいだで、強く現れた。世俗を顧みず、信念のおもむくままに行動するという独立した精神があった。下級武士たちの自信と、そこから生まれた強靭な精神力がなかったとしたら、日本は幕末期において、国家的な危機を突破することができなかっただろう。そして福沢諭吉も、このような下級武士の家の出身であった。
幼少の時に父親が死んだが、福沢の家では規律を重んじるかたわら、自由な気風が豊かにあった。福沢の自由主義は、アメリカや、ヨーロッパへ行ってから、はじめて学んだものではけっしてなかった。『福翁自伝』のなかで、「私の為には門閥制度は親の敵で御座る」と書いているが、身分社会が厳しかった時代であったのに、集合体から離れた旺盛な個人意識を持っていた。西洋へ旅して、個人社会を見聞することによって、確信が深められたというだけのことであったと思われる。
個性の時代 ミーイズムのすすめ 10章 福沢諭吉と「自由」
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