社会
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2016年10月18日付の当欄で、さいたま市中央区役所敷地内に長い間置かれていた蒸気機関車が老朽化で取り壊されたことへの残念な気持ちを綴った。新橋駅や王子の飛鳥山公園の機関車は手入れを施され、そこのシンボルとなって親しまれている事実との落差を嘆いたのだ。
先日、用事があって中央区役所の中に入ると、白い台上に金色の数字が入った黒い金属を目にした。よく見ると機関車のナンバープレートで、ここにはあの39685号機関車をしのぶ写真や部品が展示されているではないか。
1920(大正9)年に川崎造船(現・川崎重工業)で製造され、九州や新潟で客車や貨車を引っ張り、実働51年、走行距離は地球62周と4分の1。動輪が小さくボイラーが大きいタイプで「かぶと虫」の愛称があった。1971年にお役御免となり、解体のために大宮の工場に置かれていたところ、当時の与野市長・白鳥三郎さんや市会議員の目にとまり、翌1972年に市役所脇に運ばれたのだ。
設置後は旧・国鉄職員で構成される会によるボランティア活動で機関車の整備が続けられた。その様子を写真入りで紹介する当時の市公報紙もここに展示されている。この人たちが高齢になったことが機関車の保全を困難にしたようだ。
うれしかったのは、この機関車の現役時代の雄姿が1971年3月号の『蒸気機関車』(キネマ旬報社)の表紙になっていたことだ。パネルに貼られたこの表紙写真を探し出した労力には讃辞を贈りたい。
気付かずに通り過ぎてしまうほどのスペースだが、このコーナーのお陰で、珍しくもお役所に親しみを感じたものだ。
山田 洋