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コラム …男の珈琲タイム
訃報は突然やってくる。この半年、私は二人の友を見送った。不帰の人となった友を見送ることは辛かった。あの日、あの頃が走馬灯のように私の脳裡に浮んでは消え、消えてはまた浮かんだ。何千年もの間、人はこんな悲しみを繰り返してきたのだ。
何日かたって、これまた突然に大道寺将司の死を知った。大道寺は殺人犯で死刑囚だった。1970年代安保闘争にからんでゲリラ闘争をおこし、三菱重工業爆破事件の犯人として起訴された。私にとってこの時代の革命闘争なぞ、ひとかけらの意味も関心もなかった。ただ大道寺にかすかな関心があった。大道寺は北海道で生まれ、アイヌ人への差別に怒りを感じ、当時、純粋なる魂は全て日本国家が悪という短絡な考えを発火点として血に走った。当然のこととして刑務所に入った彼は俳句を学んだ。天才的な才が秀区を生んだ。勝手なもので人を殺しておいていつ自分が死刑になるかその恐怖と不安を綴った句が見事だった。「花影や死はたくまれて訪るる」「棺一基四顧茫々とかすみけり」「実存をかけて手をする冬のハエ」等々。いずれも死の執行を怯えた句だった。しかし皮肉な死が大道寺に訪れた。ガンだった。五月。大道寺は死刑の不安から免れて、ガンが天国に導いた。天国で大道寺はどんな句をつくっているのだろうか。