トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ しだいに多神教化が進んだキリスト教
外交評論家 加瀬英明 論集
私たちにとっては、キリスト教は多神教の性格をおびるようになっているから、安堵させられる。純粋な一神教であるユダヤ教や、イスラム教は、なじみにくい。
ユダヤ教とイスラム教では、形のある神像は偶像であるから、絶対に拝んではならない。神には外形がないとされている。そこで、ユダヤ教の礼拝所であるシナゴーグや、イスラム教の教会に当たるモスクには、御神体に当たるものが、何もない。
キリスト教はヨーロッパに渡って、はじめて独立した宗教として確立した。
そうするなかで、ヨーロッパの在来信仰であった多神教と習合したために、多神教の性格を備えるようになった。
キリスト教の教会のなかに入ると、正面にイエスの像があり、聖母マリアや、さまざまな聖人の像が立っていて、多神教に慣れている私たちをほっとさせる。
イエスは、主なる神を父(アツバ)とした、神の一人息子であるが、父なる神と同一な、父子一体の一神であるとされている。
キリスト教会は、一神教であるという建前を守るために、主なる神と、同一神であるイエスと、聖霊との三つの異なったものが一つであるという、「三位一体」の教義をつくりだした。
ところが、キリスト教は、イエスと聖母マリアを崇拝するうちに、いつのまにかユダヤ教の主神が姿を消してしまった。そして、イエスと聖霊と聖母マリアの三位一体となった。
イエスは『新約聖書』のなかで、父である神と別人であるように、会話を行なっている。三位一体は神秘的な解釈であるから、論理的に分かりにくい。
もっとも、宗教は論理的に説明することができないから、信じるほかない。宗教は信じることである。
宗教は信じるものだから、もし、科学によってすべてが解明することができたとしたら、信仰することがなくなってしまう。
キリスト教徒は、神だけでなく、聖母マリアも、聖人たちも、聖人が身につけていた衣服などの聖遺物までも、礼拝する。キリスト教徒にとって、聖母マリアは聖者か聖人ではなく、母神である。それぞれの聖人たちは、病気を癒すとか、旅行者の安全を護ってくれるとか、ご利益がそれぞれ分かれている。
イエスがはたして実在したのか、専門家のあいだで論争が行われてきた。イエスが生まれたユダヤ王国は、ローマ帝国の属国であって、何が起こったのか、克明な記録がつけられていた。
『新約聖書』によれば、イエスが逮捕されてから、十字架に磔(はりつけ)にされて処刑されるまで、あれほど大きな事件が起きたはずなのに、ローマ側の資料には、まったく記録されていない。
キリスト教といえば、すぐにクリスマスを連想する。しかし、かりにイエスが実在したとしても、12月25日に誕生したという根拠は、まったくない。
樅(もみ)の木の飾りをつけて、クリスマス・ツリーとして立てる習慣は、英語圏の諸国では新しいものだ。イギリスのヴィクトリア女王(在位1837年~1901年)の夫君のアルバート殿下が出身国だったドイツの習慣を、ロンドンのハロッズ百貨店に紹介したことによって、全世界にひろまったものである。
森から樅の木を切りだして、飾り立てるのは、キリスト教がヨーロッパに伝来する以前の、多神教の冬至を祝う祭のものである。2011年の4月に結婚式を挙げたイギリスのウィリアム王子は、ヴィクトリア女王とアルバート殿下の曾孫(ひまご)の子で、玄孫(やしゃご)に当たる。
キリストの死後の復活を祝う復活祭も、やはり多神教が春の到来を祝った春節を取り入れたものである。
ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたのか 二章 鯨を供養する日本人の心性
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