トップページ ≫ コラム ≫ 埼玉の余話 ≫ 埼玉の余話2014.5.2
コラム …埼玉の余話
国会議員の秘書が他の選挙で手伝う光景はよく見られることだが、二通りある。いわゆる手助けをするケース。他はその選挙全体をしきる場合だ。手助けのケースは問題はほとんどない。その秘書が不真面目でない限り。しかし、しきる場合、ほとんど失敗する事が多い。理由は簡単だ。選挙というきわめて難しいイベントを企画・立案・実践できる秘書は皆無に近いからだ。ところが、錯覚がある。応援する側も、受ける側もそんな錯覚を共有してしまうから始末が悪い。そのうえに未熟な秘書が多いから、威張りちらし、事務所のチームワークまで乱してしまう。考えれば恐ろしいことだ。一人の人間の生活と将来がかかっている選挙にそんな誤診があってはならない筈だ。賢明な候補者はそういう場合、選挙事務と人脈掌握と拡大を頼み、それ以上は他に委ねている。まちがった認識をもっていたから今日まで、どれだけの候補者が判断を誤って泣いてきたことか。
秘書はよく分をわきまえてサポート役に徹した時、秘書の評価もあがることを心すべきだ。依頼の側もその辺はよく心得て事にあたるべきだ。
例えば先般の久喜市長選。政治家を志す者は、よく他山の石とすべきだ。