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コラム …男の珈琲タイム
お宝鑑定団の先生が、手に取った壺をじっと見ながら「いい仕事してますねー」と言うほどの物はある筈もないが、先日、偶然、資料(古本)探しのため、掻きまわしていた押入れの隅から、ちょっと古そうな「煙草入れ」が二つ出てきた。その一つは、和紙を「カンゼヨリ」にした細紐を使って楕円形の小さな筒状に編み上げ、表面を柿渋仕上げにした「キセル入れ」が付けてあり、もう一方には、象牙細工の根付けがついていた。価値はともあれ、両方とも、かなり手の凝った物のように見えた。それに気をとられ、肝心の探し物を忘れてしまっていた。
そのことがあって以来、何処へ行っても骨董屋が、やけに目につくようになった。
私の親友、奥村は、かれこれ、30年も前に盆栽、水石、骨董を始めていた。
当時は、「そんなことは、年寄りなってやることだ」と馬鹿にしていたが、知らぬ間に自分が、その年になっていた。
私の住所、飯能にも何軒かの骨董屋はある。
先だって、病院に行った帰り道、立ち寄った「マルブン」(現在の「まるこう」)もそのうちの一軒だ。
「マルブン」の前は、小室病院の帰りには必ず立ち回ることになっている「お酒処八千代」に行く途中にあったが、それまでは、いつも素通りしていた。
入口のガラス戸越しに見えた銀色の矢立てが目にとまり「ちょっと見せてください」と言って中に入った。右手にあるテーブルでパソコンを打っていた女性が、振り返り「どうぞ、どうぞ」と愛想よく迎えてくれた。置いてある品を一通り見ているうちに「お茶が入りました」と言って。店の中央にある小さなテーブルに置いてくれた。特に急ぐ用事もない、後は「八千代」で飲みことだけなので、すすめられるままに椅子に座り、お茶をいただくことにした。
店に入ったときから、応対してくれている女性が、何処かで見た顔だと思っていたら、先方も同様なことを考えていたらしい。しばらくすると、ちょっと、口籠りながら「確か大野さんでしたよね、森先生と一緒によくいらっしゃっていただいたような・・・」そう言われて、はっと思い出した。
この店にもほど近い、由緒ある料亭「うな和」時代のことを。「うな和」の仲居さんだったのか、ご近所のことで、たまたま、そこで手伝っていたのか定かではないが、とにかく、其の店で出会っていたことに違いない。
彼女がいう、森先生とは、森正樹さんのことで、われわれ、酒飲み仲間では、通称、森天皇と呼んでいた。森さんは、天皇と呼ぶにふさわしく、俗界ばなれをした人物で、昭和、平成の乱世にあっては極めて貴重な存在だった。酒飲み仲間が、皆、一様に、天皇と敬称しているが、決して尊敬の念からだけのものではない。多くの「通俗的知識人」の中には、名誉、権力、富にのみ、媚びる人もあるのだろうが、森さんにはそんなところは微塵もなかった。主に和服で過ごした生活ぶりからみても、俗人からは、かなり突出して見えた。それらを総合した雰囲気が、森さんの人間像にもなっている。その一風変わった生き様を、半分は「愛称」といて「森天皇」(以下「天皇」という)と呼ばれていたように思う。
その天皇が逝去なされてはや10年。
常人より記憶の曖昧な私が、どうして、はっきりと10年と言い切れるのかは、天皇と私の年の差は昔から10歳と決まっていたからである。
愛されるべき天皇がこの世を去ったのが75歳、そして今、私が75歳。これほど簡単な計算はない。
親しいお付き合いとなったのが、天皇の還暦祝い。これもまた、お付き合い期間15年とはっきりしている。特に後半の5年間は、酒処でのお付き合いが一段と深まり、回遊するエリアも、飯能にとどまらず、青梅、所沢、長瀬と守備範囲を広げていた。年の差も特に意識することなく、無理もせず、これまでお付き合いできたのは一体何だったのだろう。
それは「酒の道知らずして、何で人生を語るや」といった「不条理」を「条理」としてしまう癖が、共通していたのかもしれない。しかし、酒飲み(だけ)のお付き合いともなれば誰でも、たまには失敗もする。だが、失敗が醸し出す人間臭さが時にはお付き合いを近いものにすることもある。したがって、天皇と私との付き合いの中には生臭い逸話も一通りではない。
ある時、例の「うな和」で天皇がこんなことを言ったことがある。「このごろ、わしは怖いものがなくなった。以前は、ちょっと怖かった警察も税務署も、ましてや代議士連中など、所詮今は、私の敵ではない。強いて怖いものを挙げるなら女の情けかな?」と嘯き、ハッハッハッと笑い飛ばした。なお、この話にはオチがある。「わしは其のことに悩んで高山不動に祈願に行くことにした」「何の祈願ですか」と私が聞いてみた。「勿論。そりゃあ、女難除けだよ」と、お不動様に女難除けというだけでも、おかしい話だが・・・。その話はさらに続く。護摩たき祈願が終わるのを、別の間で待っていたのだそうだ。すると障子の外がざわついてきた。よくみると、障子が少し開けてあり、「近所のおばさんたちが、替わるがわる、わしの顔を覗きにきていたらしい。余程、女難除けをする男の顔が拝みたかったのじゃああるまいか」と、話もここまでくると、少々、眉唾ものになってきた。となると、今まで神妙に聞いていた誰かが「いくら天皇でも、そこまでもてる筈はねえ」と言った。それに答えて天皇の真顔が、すこしゆるんで、例のハッハッハッで軽く往なされてしまったのである。
その一部始終を、見聞きしていたのが、当時「うな和」で働いていた、前述の骨董屋「マルブン」の女社長だったのである。 となれば、つくづくこの世の狭さ、長い人生における「出会いの妙」を感じざるを得ない。 我侭とジョークの魂のような天皇をめぐって話は更に盛り上がり、思わぬ長話で、飲み屋「八千代」の出勤時間は大幅に遅刻してしまった。 (大野 明)