トップページ ≫ コラム ≫ 埼玉の余話 ≫ 埼玉の余話2011.8.15
コラム …埼玉の余話
・天才といわれる人には数人ぐらいしか会っていない。この人達は理屈を越えて凄い。凡人の考えの及ばないことを考え、実行している。たとえば、物理や数学といった類の難問も平気で解いて、あとはしゃらっとしている。聞けば、その域に達するまで、そんなに努力した覚えがないという。では何か?生まれつき、もって生まれた才というものがあるのは確かだ。しかし、果たしてそれだけか。やはり人の見えぬところで、人一倍の勉強もしているのだ。物理に関する本を楽しんで読破しているとか。生まれつき、そしていかなる難行にも耐え、さらに楽しむということか。いまだに天才の定義はわからない。小子の身近な天才は東北線沿線に呼吸をしている。年間200冊の本を読む。理系だが、文才とその思考のパターンが常人と明らかに異なる。栄誉は欲しない。しかし、世の文学者や詩人より、その閃きや天の才だ。頭脳はまさしく知識と智恵の宝庫だ。その人がつむじ風をおこす。風立ちぬ秋がくる。
・酒と女性と。あなたはどちらを選ぶか?このくらい愚問と難問はあるまい。しかし、たとえばA氏はどうか。もちろん両方をこよなく愛しているのは間違いないのだが、50歳になる現在、両方に失敗しているのだ。50にして花?の独身。経済力も身体力もある。教師という職業柄か会話力もある。好きな女性と酒を飲む。女性に酒で負けたくないというおかしな哲学を持っていて、酒を浴びる。そして、訳がわからなくなって、挙句の果ては女性に逃げられる。先日も好きになった女性とカウンターで飲んだ。そこへA氏の知人がやってきた。A氏は女性を真ん中に置いてその知人とまた飲みだした。またもやダウン。女性はA氏の知人と2人で帰ってしまった。A氏はその女性ともグッドバイ。A氏は嘆いて言った。「酒は大好き!女はもっと好き!両方好き過ぎるから俺は両方ダメになる」さいたま市の話だ。女性は恋人に酒は友にという教訓か。