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外交評論家 加瀬英明 論集
二月に琉球新報社の招きで、S氏といっしょに沖縄にでかけた。S氏は外交評論家で、西ドイツ大使、東欧の大使を歴任してから退官されたのだから、私からみれば大長老だ。
一泊して翌朝、東京へ帰る時に、S氏が土産に牛肉を買ってゆこうといった。沖縄では返還以来、特別措置法が施行されており、本土よりも洋酒や、牛肉が安いのである。私たちは新聞社の社員に案内されて、牛肉屋に寄った。
S氏はお孫さんもいるという事で、四キロ買った。何でも本土の半値だというのだ。私は二キロ買った。私は「何だか終戦後の買い出しを思い出しますなあ」といった。元大使閣下がアタッシュケースほどもある肉塊をぶらさげて、飛行機に乗るのは、ちょっと滑稽だった。
とにかく日本は物価が高い。とくに食料品は、アメリカやヨーロッパの数倍はするだろう。肉についていえば、アメリカの五、六倍である。だから円は海外では強くても、国内では弱い。日本人は海外で金持ちになり、国内では貧乏人になってしまうのである。
東京に戻ってきてから、青山の紀ノ国屋に行ってみたら、一〇〇グラム九十八円という牛肉があった。「輸入牛」と書かれている。輸入牛というと、日本では何かランクが低いようである。たしかに国産の牛肉のほうが質はよいだろう。
もともと日本料理からいっても、素材の味をそのまま生かそうとするので、それはそれでよいとしても、日本人は加工法をあまり知らないようである。どうも日本では牛肉といっても、刺身や、おひたしのような発想で食べるが、西洋人は私たちからみればオーバーに思えるほど手をかける。原形がわからないまで、煮込んだ料理が多い。
それにしても食品が高いのは、もちろん輸入の仕組とか、流通機構が複雑であるということがあろうが、金に対する態度からもきていると思う。もっとも日本人が日常、肉を気軽に食べられるような贅沢な生活をするようになったのは、この十数年のことであるので、肉とか、昔ならば贅沢だと思われていた食品は高いものであるという意識が働いているのかもしれない。
日本人も人並みに金は好きなのだが、どうも執着心がないようである。これは物についての執着心についてもいえる。金や、物に対して潔いのが望ましいとされている。
私はオランダの家庭で、ケチャップや、サラダオイル、牛乳の瓶の中身を一滴残さずに使うために、瓶を逆さまにしたまま支える器具というものを見たことがある。牛乳といっても、オランダの牛乳は濃厚で、それと較べたら日本の牛乳は水のようなものだから、少しだけ残っても料理に使えるというのだ。
私はこの道具を見て、好きな地酒があると最後のほうは、手が疲れるほどまで振りたいという思いに駆られることがあることを思い出したのだった。
個性の時代 ミーイズムのすすめ 四章 「贅沢」という名の「貧しさ」