トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 日本の物価高は生活態度のせい
外交評論家 加瀬英明 論集
日本人は誰でも、金や物に対する執着心が薄いので、物価が高くなってしまうといえると思う。アメリカやヨーロッパのような個人主義の社会では、自分をしっかりと持っている人ほど、金銭の管理が上手である。自分の防衛意識が発達しているのだ。
もちろん物に縛られてしまうような人もいるが、日本であれば好感をもってみられるような気前のよい人間は、軽蔑される。アメリカであれば、子供連れで、ケンタッキー・フライド・チキンを食べにいって、請求書を、眼鏡を取りだしてかけて、正しいか、三回ぐらい検算するのは、当り前のことである。
日本人には、こういった金銭をめぐる防衛意識が希薄である。アメリカ人や、ヨーロッパ人であれば、金は自分中心につかうものであるとし、そうすることによってどのような利益があるか、考えてつかう。ところが日本ではつかわせられて(”””’)いるようなのだ。
外食をすると、日本では勘定が法外と思えるほど高い。東京で夜、客をもてなそうとして、六本木や、赤坂のレストランに食事に行ったら、酒を飲むことも考えれば、二人で三万円持ってゆくのでは何か不安である。実際、三万円をでてしまうこともある。ニューヨークでは、かなり贅沢なレストランへ二人で行っても、50ドルもあれば充分である。一万円だ。
まったく理由がつかないほどに高いのは、銀座のクラブや、バーである。説明のしようがない。といっても、こういったクラブや、バーは特異な例ではない。街のレストランや、スナックから、スーパーの冷凍ケースのなかまでつながっていることである。
客をする時にも、日本では過剰にもてなすということが多い。あきらかに勘定が高そうな店で、目の前にご馳走が並ぶ。たまに接待されることが続いてしまって、あまり食べたくないときには、拷問のように感じられるほどである。食べるのも、つき合いなのだ。これは自宅に招かれても、そうである。
これは、もてなす側にとっては自己犠牲である。ひとのために、ひたすら自分を潰すことになるのだ。相手にひたすら仕えるのである。外国では接待といっても簡素なものである。とくに自宅に招かれたら、そうだ。
今年三月に経済企画庁が発表した独身勤労者の消費動向調査によれば、一人当たりの外食費は一日平均三千円ということである。新聞によれば、「これは欧米の独身勤労者と較べると想像を絶する高さだ。米国の場合、平均七ドル、千四、五百円といったところ」(日本経済新聞、三月十四日朝刊)であるという。
日本人の日常の食事は、かなり贅沢なものだ。そして最近は料理ブームであるようだが、食事が家族のあいだのコミュニケーションとなっていることが多い。もちろん家庭で美味しいものを食べることは、楽しいことだ。
しかし、食事が占める比重があまりにも大きという事になると、他の手段を使ったコミュニケーションが少ないということになってしまう。日本の女房族に求められることは、会話を通じた自己表現よりも、料理の腕であることが多い。
ドイツにも「Liebe geht durch die Margen」(愛情は腹を通して表される)という諺があるが、食物のみが強調されるのでは、侘しいではないか。精神病理学的にいうと、口腔執着はきわめて幼児的なものとなっている。
どうも日本で物価が高いのは、生活態度のせいであることが大きいように思われる。こういったような態度があるので、儲けようという人々によって舐められているような気がする。
日本人は、どうも金を正視することができないようである。そして金をつかって得られる利益よりも、つかうこと自体に目的があることが多いようである。だからレストランや、料亭や、高級品は値段が高いほうがよいということになるのだ。
ほんとうは値段が高い店に連れてゆかれるよりも、安くて美味い店に案内されたほうがよいというものである。エルメスやルイビトンの贋物が堂々と百貨店で売られるのも、このあたりからきているのだろう。
個性の時代 ミーイズムのすすめ 四章 「贅沢」という名の「貧しさ」