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コラム …雪んこの頑張って咲きます♪
相棒の母が亡くなった。
私にとっても優しい母だった。
母の余命宣告は3か月前だった。
肺気腫を患い、昨年4月にできた腫瘍が倍以上大きくなった。
でも、母は痛みがなく呼吸が辛いだけで食欲もあり、医師の余命宣告が嘘のようだった。
母の愛する父もまた肺を患って亡くなった。
父が亡くなって12年。
今年は父の13回忌。父の命日の前、4月の終わりに13回忌を終えた。
その日、母は病気が飛んでいったかのように、姉の作ったおはぎを食べ、お腹いっぱいご馳走を堪能していたそうだ。
その13回忌には、私たちは足を運べなかったが、母は子供たちと孫たちに囲まれ、楽しい時を過ごしたようだ。
そして5月に入ってすぐ、母の息苦しさが増し、病院に入ることになった。
奇しくも父の命日の1日前だった。
私の相棒は姉から入院したことを聞き、「お母さん大丈夫?」と姉に言った。姉は「お母さんと話せるか」と勘違いしたのか母と電話をかわった。
相棒は母と話せて安心して携帯を切った。
しかし、これが母との最期の会話となった。
母はその翌日、息を引き取った。
そう、5月2日、最愛の父の命日だ。
後日、その時のことを姉に聞いたが、母は苦しむことなく、安らかに眠っていったそうだ。
母は生前、病院が嫌いだった。
そのことを知った父が「もういいよ、もうおいで」と呼んだに違いないと私は想った。
父の13回忌の責任を果たし、愛する家族に守られ、母は幸せに包まれて、後悔もなく旅立ったのだろう。
命とは儚い。葬儀の後、あっという間に骨になることをまざまざと見せつけられた。
でも儚いという文字は「はかない」と呼べば哀しいが、人の夢と書く。
夢を果たした母がまた天国で新たな夢を追うために召されたのだ。
それを証拠に母はその日、美しかった。真っ白な綿の花嫁衣裳をまとい、真っ赤な口紅をし、父のもとに向かった。
5月2日。
遺された者にとって、命日から、忘れられない記念日、夫婦記念日となった。