トップページ ≫ コラム ≫ 埼玉の余話 ≫ 埼玉の余話2013.5.9
コラム …埼玉の余話
選挙はいうまでもなく、国や市町村の運命を決める大イベントといって過言ではない。しかし、一方でそんな理性的な面だけでは表現しがたい不思議な熱気と人間の醜悪がすっかりあぶりだされるフィールドでもある。例えば、県議会議員を志した一人の男がいたとする。この人は自民党とか民主党とかのわく組を越えたところで人様の御世話になっている筈だ。要するにまずは人間対人間の信頼の中から歩みはじめる。これは政治を志すもの、選挙に出馬するもの全てに共通した生まれいずる因果のようなものだ。しかし、愚かな人はこの因果関係を忘れて当選するとすぐ浮かれてしまって自分の原点を忘却の彼方へと放りだしてしまうから次の悲劇にまきこまれていくのは至極あたりまえの事だ。さいたま市長選はもうじき折り返し点がやってくる。自分が何々党の県議会議員だからといって、一番恩をうけた人に刃をむけて平気でいる人の神経とは一体何なんだろうか。党よりまえに人間である筈だ。党という仮面をかぶって本来の人間を忘れて卑劣な態度をとっていると、もはや仮面ではなく、仮面そのものが実態となってしまって、本来の人間は不在となる。人間不在の政治家に誰が未来を託せるだろうか。全てこの世は奢れる者久しからず諸行無常なることをもって銘すべきだ。