トップページ ≫ コラム ≫ 埼玉の余話 ≫ 埼玉の余話 2012.2.15
コラム …埼玉の余話
既成の政党や政治家達に、大阪の橋下氏や維新の会を批判する資格はまったくない。何故なら、彼等の体たらくが、橋下氏を時代の寵児にまつりあげてしまったのだ。身を切ろうとしない政治家、覚悟のない政治家、約束を平気で破る政治家等々、彼等の冠となる言葉は全て否定語だ。笑えるのは、橋下氏や維新の会の政権公約に対して具体性にとぼしいと彼等が口をそろえて言っていることだ。ならば、3年前に民主党が掲げたマニフェストなるものは全て、具体性に富んでいたではないか。唯、その具体性とは机上の空論だったというだけだ。具体性で責めをうけるのは権力をとった時のことであって、それ以外はヘタな具体性よりも大まかな“あり方”や“構想”の方が良い。権力の現場にいない具体案なぞ、本来は存在しないのだ。だから民主党は90パーセント以上マニフェストは実行できなくて当たり前だ。この際、マニフェストなぞという、噓っぽい紙芝居はやめて、大らかな絵図面で選挙を戦うことが良い。維新の会の船中八策は、骨子のことだ。参議院廃止ぐらいわかりやすいスローガンはない。
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