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コラム …男の珈琲タイム
浅草に行くと「人生は喜劇にはじまって喜劇に終わる」という石碑が彫られている。森繫久彌の書だ。お笑いも、喜劇も、いまだにすたらずに盛んなのは、人生そのものを喜劇として浅草の人達が謳歌してきた歴史と文化があるからだ。田谷力三の「恋はやさし」にはじまるオペラも、夢とペーソスがあった。浅草の食文化も常に深く、どこかに味わいがある。味を堪能したあと、尾張屋という蕎麦屋で仕上げるのも粋な洒落ではないか。作家の永井荷風も毎日のように洒落を愛した。どこかにおかしみがあって、ペーソスがにじんでいる。まさに喜劇の風情が浅草の路地という路地に漂っている。浅草は日本人の味でいっぱいになっている。喜劇が喜劇として路地を通り抜けていく。それにつけても日本の政治は悲劇にはじまって、そして終わってないか。とんでもない役者が跋扈していて、背筋が寒くなる。国会議員のパパ活なぞとんでもない。お笑いの最たるものだ。
鹿島修太
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