コラム …男の珈琲タイム
父は帽子が好きだった。それは単なる父の趣味とは違っていた。そのことに気がついたのは、私が中学生になった頃だった。私はその頃、仮面というものにかなりの興味をもっていた。仮面舞踏会をはじめとして、人は何故仮面をかぶるのだろうという率直な疑問だった。
もしかしたら、仮面をつけることによって、人は内面にひそんでいる本当の自分に気づき、しばし、本当の自分を見つけた快楽に近い気分に浸るのではないだろうか。そうなると、仮面をつけていない自分は、それこそ自分ではなく、仮面の中にいる自分が本当の自分なのか?少年の私は、それなりに煩悶した。私が性に目覚めはじめた頃と同時期だっただけに、煩悶は深かった。
父が帽子をかぶると、父は普段の父よりずっと嬉しそうだった。そして大人としての秘密を充分内に包み、父としても男としてもかっこうが良かった。後年、帽子は趣味やステータスよりも実は仮面の役割も備えているという心理学者の本を読んで、父をよく理解できた。没落した家の再興のために生涯必死の生き方を貫いた父。父の帽子には人に語ることのできない深い悲しみと寂寥があったにちがいない。
父の死んだ日、帽子だけはその棺に入れないと、父の本当の死はないと、私は涙にぬれながら、棺に手をあわせた昔があった。
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