トップページ ≫ 社会 ≫ 残された色街を訪ねて~大阪市飛田新地橋下大阪市長もこの組合の顧問弁護士だった
社会
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1年ほど前に出版された『さいごの色街 飛田(とびた)』(井上理津子・著 筑摩書房)は女性では取材しにくいテーマに12年かけて取り組んだ力作だ。刊行時に多くの書評欄で取り上げられ、さらに本の中で橋下徹大阪市長がこの街の業者組合の顧問弁護士だったと、動かぬ証拠付きで明かしたことも話題になり、版を重ねた。
飛田といっても関西以外の人にはぴんと来ないかもしれないが、昔の遊郭がそのまま残る日本最大の色街だ。東京にも吉原とか有名な色街があったが、1957年の売春防止法施行以後は消滅したり、ソープランド街と化した。どうして飛田だけが生き残ったのか? 業者たちが知恵をしぼり、遊郭ではなくて料亭ということにして、女性たちをにわか芸者に仕立て上げて法の網をくぐり抜けたのだという。
この本を、ある記憶と重ね合わせながら読んだ。大阪万博の3年前の1967年、私は大阪市西成区の釜ヶ崎(現・あいりん地区)を訪ねた。当時、ここの簡易宿泊施設に暮らす日雇い労働者たちの暴動が続発していた。その日は暴動はなかったが、路上に寝ている人々の群れを見て強い衝撃を受けた。ここから逃げるように夢中で夜道を歩いていると、突然、目の前に極彩色の街並みが出現した。江戸時代にタイムスリップしたかのような建物が軒を連ね、別世界の趣だ。しばらく呆然としていたが、ここが噂で聞いていた飛田新地だった。
人込みに紛れて通りを歩き、のれんの掛かった店を覗くと、明るい照明の中に着飾った女性が座っていた。その脇で客引きのやり手ばあさんが通行人に呼び掛けるが、大阪弁の即物的な物言いに思わずたじろいだ。
著者の井上さんは、街の一角にある料理屋での新年会で初めて飛田に来て度肝を抜かれたが、怖いもの見たさで、その後もたびたび訪れるようになったそうだが、私もまたしかり。ただ、店に入る気にはなれなかったので、本を読んで新たに知った事実は多かった。
女性である著者は客としては店に入れず、試行錯誤しながら取材を続けた結果、料亭の経営者や組合幹部、店の女性たち、さらには暴力団組長まで取材相手を広げて行く。
本を読んで触発されたせいもあり、先日、広島に行った際に大阪で途中下車した。まだ明るい時間だったので、飛田界隈の人通りはまばらだったが、開店している店は多かった。昔と変わらぬ営業スタイルで、やり手ばあさんの呼び込みも執拗だった。
街の景観自体はあまり変わっていないものの、周囲は大きく変貌している。阪神高速が街の上を走り、東側は阿倍野のマンション群がすぐ近くまで迫り、ここを見下ろす。廃業した店もあり、跡地には小型マンションが建ったり建設中だったり。今なお160軒が営業しているが、かつての賑わいは失われつつある。
飛田の存在についてはいろいろな意見があるだろうが、一見の価値はあるはずだ。たとえ怖いもの見たさでも。
(山田 洋)