トップページ ≫ 文芸広場 ≫ 信濃路旅行天竜峡の「モンテンルパの碑」
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15年前に、バスツアーで信濃方面に旅行した。天竜峡を散策していたら、「モンテンルパの碑」と書いた標識が目についた。この碑を見てある歌を思い浮かべ、私だけちょっとみんなの歩くコースを外れて行ってみた。
「ああモンテンルパの夜は更けて」の歌詞を刻した碑が建っていた。 フィリピンのマニラ郊外のモンテンルパ刑務所では、終戦後、日本のB・C級戦犯 が収容されていた。この歌の作詞者がB級戦犯死刑囚の代田銀太郎さんという方で、 長野県出身の方と説明版に記載されていた。作曲した方も、同じくB級戦犯死刑囚の方ということである。
渡辺はま子がこの歌を歌った。戦後7年を経過した昭和27年にこの刑務所を慰問、この歌を歌ったら、会場の中からすすり泣きが聞こえたそうである。この年に、ちょうど私が生まれた。
以下は、個人的な話である。
この旅行の数か月前、米子市内のスナックに行ったら、フィリピンから働きに来ている女性3人がいた。モンテンルパのことを話すと、その地名は知っていた。
カラオケでこの歌を歌ったら、歌詞の意味がわかったらしく、彼女らは涙を流して聞いてくれた。私も、途中で詰まりかけたが、何とか最後まで歌うことができた。
父の長兄も、義母の兄も、フィリピンで戦死した。
幼いころ、父の実家に遊びに行くと、最初に必ず仏壇に手を合わせに行くよう親に誘導された。今もその癖がついている。
義母がフィリピンに慰問に行ったとき、私の息子と娘の、服や靴を託けて現地へ置 いてもらった。いい供養になったと思った。
渡部峰逸留