トップページ ≫ コラム ≫ 埼玉の余話 ≫ 埼玉の余話 2010.12.3
コラム …埼玉の余話
・桜田門外の変が読まれているそうだ。井伊直弼に対する見方は様々だが、彼ほど、政治家とは何かを最後まで勉強したものはおるまい。「政治家は最高の文化人でなければならない。茶道はそのためのものだ」と言い切っている。一期一会を実践し、その瞬間に人生を賭けて生き抜いた。切られて後悔はあるまい。それほどまでに自分の信念と志をほとばしる教養の基に政治に賭けたからだ。今の政治家にこれほどの人がいるだろうか。来年は地方統一選。就職活動の為の政治家だけは御免だ。
・来年の統一選であえて自分の政党を隠そうとする人達が目立つ。無所属という、言ってみれば政治的仮死状態を平気で名乗って、候補者の実態を知らない有権者の心のスキを狙っている。少なくとも県政は政党の場だ。無所属なぞは全く相手にされないのは現実を見ればすぐ分かる。有権者こそ主権者だ。主権者が賢ければ愚かなる政治家は生まれない筈だ。有権者は父親であり母親である。自覚を持たなければ民主主義という四文字は空念仏に等しくないか。