コラム …埼玉の余話
・小沢か菅か、メディアは連日騒いでいる。しかし、考えてみるとこの政権政党民主党はいまだに党の綱領がない。政党の綱領は憲法だ。憲法のない政党なんて、世界でも珍しい。だから、この党はちぐはぐなのだ。一本の太い背骨のないところで議論するから、いつも空虚感がつきまとっているのだ。今、一番必要なのは経済だが、どのような国家を創っていくかが、小沢氏にも菅氏にも見えてこないから“なるほど”とうなずけないのは寂しいことだ。
・日本がこんなに貧富の差が激しくなり、失業者があふれ、孤独死が増え、あえいでいる時、小沢も菅も作り笑いをしている時ではない。まさに偽笑こそあさましい人間のポーズだ。わずか3ヶ月前に金と政治で引責した政治家がもうしゃしゃり出て党首になりたいと叫べば、経済無策、言動無責任はなはだしい政治家が、一に雇用、二に雇用、三に雇用と叫んでいる。消費税はどこへいったのだろうか。直近の参議院選で下された民主党はNO!の審判に対する責任はどこへ消えたのだろうか?偽笑と偽装、そしてどこか救いがたい偽善の臭いがぷんぷんなのは何故だろうか。
・もう1人の鳩はどこへいったのだろうか。政治とカネで引っ込み、もう政界も引退するといっていた鳩。この鳥が再びしゃしゃり出て挙党一致を言ったり、菅支持を言ったり、小沢支持にまでなって、急に2人の調整役をかってでて失敗。一体、前首相たるこの方はいくら宇宙人とはいえ酷過ぎる。
・菅さんの演説は失礼ながら宰相たる人のそれではない。風格に欠け野党党首にも及ばない革命闘士のアジ演説といっては失礼か。それとも綱領なき政党の党首ゆえの貧しさなのだろうか。
・この闘いが終わったら、また仲良くと言い合っているのも、どこか偽りの香りがしてならない。そんな香りは真夏の香水のように半日ももちはしない気がしてならない。仲良くやろうという言葉ほど幼稚な言葉はないのではないか。“みんなでやろうぜ”といった谷垣さん。その言葉と裏腹に、党を逃げ出した人も多数いて、みんなでやりたくない人々も党内でくすぶっているのだから、そんな安っぽい言葉は投げないのが賢いのだ。時に人生は“わかれようぜ”というセリフの方がずっと粋でかっこいい場合があるのだ。
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