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コラム …男の珈琲タイム
長い間、私は「プロとは何か?」をテーマとして追い求めてきた。それは、政治家という種族があまりにもプロという概念から程遠いところでうごめいている実態を知りつくしてきたからだ。
まず、政治に対する信念の欠如、政治とは何かという基本的哲学の欠如、さらに人間社会への洞察力の乏しさが如何ともし難いことだからだ。
この埼玉で新しく国会議員に就任した人達も、一体自分は何故当選し、何故今日あるのかという人間としての基本がまるでわかっていないのが残念だ。会合に出てくれ、パーティ券を買ってくれとさんざ頭を下げておいて、終われば全く知らんぷりで恩も義理も即座に忘れてしまう。プロだったら、如才なくそれ等に応えていく。秘書を上手に使いこなして、絶対に人の気をそらさない気配りをする。まさに「笑・理・涙」の実践をする。人間にとって経済は必須なのだから、マーケットのことは熟知する、等々。
残念ながら、そんな御仁は皆無に等しい。
何かあれば自分の政党という「みの」の中に隠れてしまう体たらくは腹立たしい。あの猪瀬さんも辞任の会見の時、「自分はアマチュアだった」と懺悔した。何が今さらアマチュアなのか。少なくとも実学の世界リーダーにアマチュアは存在しない。すぐ会社が倒産してしまうからだ。彼らはひたすらプロであり続けるのだ。
近頃、ゆるキャラなどがテレビでもてはやされているが、プロ根性の無い、人間知の低い政治家こそ、ゆるキャラの最たるもので、人々からもてはやされ失笑をかい、芭蕉の句ではないが、やがて寂しき鵜飼いかなとなる存在だと思うとコーヒーの味が一段とまずくなってきてしまう。
(鹿島 修太)
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