トップページ ≫ コラム ≫ 男の珈琲タイム ≫ 「地上の星」 俺は見た~後編
コラム …男の珈琲タイム
倒れ掛かっている古い我が家に、好き嫌いを「超越」した場所が一部残されている。
各部屋ごとの天井と壁の角に造作されている神棚と称されているところだ。
そこには、伊勢の大神宮様、木曽の御嶽様、山の神様、恵比寿様、大黒様から弁天様と此の国に祭られている大方の神様が集合されている。これは一体何だろう。親父もそれ程の信仰家だったとは思えなかったし、私も特別に神を意識したことはない。誠に不可思議な現象である。
良く言えば、幅の広い信仰、見方を変えれば、先祖代々伝わる神様づきあい、否、唯々節操がなかっただけのような気もする。
神棚とは別に1階8畳間に仏壇が一つ置いてある。その小引出しの中には般若心経と一緒にキリスト教の聖書まで入っているのだから驚く。果たしてご先祖様は、何を考えていたのか聊か理解に苦しむ。しかしこうして「八百万(やおよろず)の神」が一同に合宿している様を見ると、こと宗教に関する限りあまり好き嫌いをしなかったことは伺える。体裁よく言えば、広く知識を求めているかのようにも見えるが、私の先祖のことだから多分に野次馬的匂いもしてくる。
それでも生前親父が、家のお寺は真言宗だと言ったのを覚えている。真言宗といえば、かの有名な弘法大師が高野山に開いた仏教の一宗派位のことは知っている。
厳密に考えて私は、仏教徒ということになるが、一年に二回春秋、彼岸の墓参りと八月の盆、お寺でのお施餓鬼供養出席位ではとても敬虔なる仏教徒の枠には入るまい。
仏教を語るとき、釈尊この御方は格別として、明治以降~現在までを一括りしたなかで仏教人から最も尊敬できる人を一人挙げよと問われれば、吾々山に聊かでも関係ある者は、迷わず「川口慧海」と答えるだろう。
「川口慧海師」を深く知る人からすれば、このようなところへ時代をも超越した「偉人」を軽く登場されるなとしかられることは必定。だが、吾々山に惹かれ、ひたすら登ることだけを意とする者でも、仏教で言われている「無」の心と通ずると理解していただきお許し願いたい。慧海師、自らの体験に裏打ちされた深い造詣は、最近の耳達者な「情報」が頼りの通俗的知識人とは比較にならない説得力を感じる。
「師」は従来からある日本の仏教、即ち、中国大陸経由で伝来した漢訳経典の和訳についても疑問を持ち、更なる原典を求めて立ちはだかる難関を越え、日本人「初チベット入国者となった快挙」。そして入国後の内容ある活動。それは単に仏教界だけにとどまらず、吾々山登りを志向する者にとっても大きな刺激となっている。又、範とすることも多い。
特に、注目すべきことは、其の周到な計画、準備に惜しみなく努力と時間を積み重ねていること。入国前の一年間、麓の村「ツアーラン」ら滞在。チベット語とチベット人の生活習慣まで身につける程の徹底ぶりは見事というより他ならない。その実践的行動力だけみても師の超人ぶりを伺い知ることができる。川口慧海、この人こそ、明治維新、以後の現世代が生んだ「本物」のヒーローの一人であると私は信じている。
私の記憶もかなり怪しくなっているので期日については定かではないが、かれこれ十年ぐらい前の話になろうか。慧海師と兄弟弟子だったとされる飯能市内にある観音寺、先代住職の計らいで大谷大学助教授白舘戒雲[つるてむけさん](チベット名)師のお話しを聞く機会を得た。
話の内容は、主に日本とチベット仏教の相違点にあったように憶えているが、お話しの中に、しばしば「川口慧海」の名が聞かれ仏教の聖地ヒマラヤ地方にあっても師の業績はかなり高い評価をされているように感じた。
しらずしらずの内に話が仏教に展開してしまったので、ここでは他の宗教も合わせて自分なりの思いを整理してみたい。
現在日本国内にある仏教の「支流」「亜流」はあまりにも多過ぎて、何れの宗派系列に属しているのかも吾々凡夫には判別できない。しかし、仏教という広い枠組みを考えれば、何れの宗派にせよ行きつく所は、皆、釈尊になるのでは?不勉強の私にとって此の世界はあまりにも難解すぎる。そのことは仏教のみならず、キリスト、イスラム、その他諸々を名乗る宗教にも言えることで、皆同様に新旧入り乱れての辛み合いがあり、本当の元祖が何処にあるのかも解り難くしている。まして「釈迦」が生まれながらして「仏陀」なのか、「イエス」(神の子)がはじめからキリスト(救世主)であったのか等々の話になると吾々日本人の平均的宗教観ではとてもついていけない。イエスが生きた時代と釈迦の時代では、あまりにも大きな「ヅレ」があり、又、周囲の環境も全く違う。
その二人を同じ視点で公平に比較することは不可能だが、お二方がそれぞれ生きた時代に人類の歴史まで変えてしまうほど偉大な宗教文化を開花させていることは事実である。吾々「俗人」にとって「釈尊」「イエス・キリスト」は将に雲上人である。
あまりにも高い空に輝いているので近より難い。もう一寸、「地上に近い星を」と思った時、「鳩魔羅汁(くまらじゅう)」の名が頭にうかんだ。
鳩魔羅汁は釈迦と同世代の優れた僧侶であったが、修行半ばで「破戒僧」とされ中国へ左遷さされたとも聞く。
その高僧の残した言葉の中に、「煩悩是道場」というのがある。
煩悩、即「あらゆる欲望」に迷いながらの「試練」が人生だ。と、明快に言い切っているようで凡夫の私にも無理なく身近に伝わってくる。
鳩魔羅汁、此の人も亦、地上に輝く星の一つであったのかも知れない。
いろいろと、脇道に逸れてしまったが、最後に私の言いたいことを大雑把にまとめることにしよう。
◎太陽は一つあればいい。
◎一等星も多くはいらない。
◎偽光する星は、最早、無用
特に光るでもなく、唯、黙々と吾々を支えてくれている地上の星がある限り。
(大野 明)