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文芸広場
俳句・詩・小説・エッセイ等あなたの想いや作品をお寄せください。
新着記事
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- 「月と雷門」(2019年01月15日)
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先日私は「月と雷門」という不思議な絵を入手した。不思議という言葉が適切かどうか、この際おいておこう。 全体が黒で、浅草の人通りがほとんどなくなった夜空は清晨を保ち、中天に浮かぶ月はまさに上弦の月という名にふさわしく何万年も前からの光沢を放っている。人類がこの地球上に現れる前から同じ表情を崩さないと思うと、それはもう美をこえて、怪しげな光彩とといった方がいい…
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- モカとロレンス(2018年12月31日)
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モカのコーヒーをすするといつの間にかアラビアの広大な砂漠がぼくの眼前に広がってぼくはアラビアのロレンスになる。 ラクダにまたがり砂塵を舞い上げ駆け抜けていくあの男。あの勇姿が。 そしてモカの香りと一緒になってぼくは幻の中に酔っている。 このとてつもなく古めいた茶房。 昔の歌ばかりがなまめかしく流れてくる。 「いつかあなたと行った時の小さな赤いイス二…
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- 選ばれた者(2018年12月16日)
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人の世で選ばれる者がいる 羨望の目で見つめられ 人前に並んでいる者達がいる ナザレ村出身のキリスト・イエスが招いた者達がいる 彼が選んだのは 健やかではないもの 小さき者 心の貧しき者 誇らしげに並んでいる者は一人もいない キリストが選ばれたもの達に知らせたのは福音 福音とは嬉しいお知らせのことである 希望がない人に 与えられ…
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- 自分への説教(2018年12月02日)
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身の回りに苛立つ人が居る その性格を直して貰えればいいのだが 大概ムリです 指摘すればほぼ争いになる 昔の殿様や王様ならそんな人間は地下牢に閉じ込めるか殺してしまう 余裕のある会社はそんな人間を遠隔地に飛ばす それが出来ない人はどうしたらいいのだろう そんな人には近寄らない事だが 家族や会社や近隣だとそうもいかない 我慢しか残らない でも…
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- 自分が大勢(2018年11月18日)
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椎の実 ハゼの実 花水木の実 この季節 散歩道に木の実が一面に落ちています 「ごめん」踏んで歩きます 昨年のままでいいのなら木の実も草の実も一粒でいい 樹齢千年の木は千年に一ケ実を結べばいい 一人っ子の家族が続くとやがて人類は一人になる 同じものが二つ以上在る理由は何だろう 同じ考えの者が集まると楽しい 同じ考えや感じ方の人と出会うと幸せにな…
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- からす瓜(2018年11月04日)
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まずいので人は食べません 悪食の烏も相手にしません 正しくは烏瓜でなく唐朱瓜だといいます <在る>と言うことには意味か役割が必要です 目に美しいバラ 秋になると遠くまで良い香を届ける金木犀 美味しい果物は鳥獣だけでなく虫も好きです 虫も寄りつかない人がいます 忘れられて生きている人がいます 何の役にもたたない<いる…
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- 秋の野をゆく(2018年10月21日)
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秋は懐かしい人に出会う季節 皆何処かの世で出会った人達だ 散歩道で私を出迎えるのは 行く先々をホバーリングして現れる赤トンボ 土色の目立たない体を撥ねてみせるクルマバッタ 道端に居並ぶのは千の花束 万の笑顔 枝もたわわに実をつけたアカマンマもエノコログサも みな功成り名遂げた者ばかり 一輪一輪が充分に美しいのに 数えきれないほど花を咲かせて…
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- 観覧車(2018年10月07日)
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メリーゴーランドに乗るとわたしはいつも少年になった。 少年の日は進むことより、いつも嬉しく回転していた。 観覧車のゴンドラに乗ると何故かわたしは言い余の無い寂しさにおそわれた。 のぼっていくゴンドラはやがていつか下っていくことに小さなおののきを感じているわたしがいた。 わたしは人生のどのへんにいるのだろうか。 昔、人生の余命を悟った男がゴンドラの…
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- 虫の命(2018年10月01日)
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鈴虫の籠を片付けようとした時です 「まだ生きているよ」 一匹がヒゲを動かしました 「誰もいない世界で何をしてるの?」 生き残りの鈴虫が虫の息で答えました ・・・みんな一緒に旅立ちたかったのだけど 大きな送迎バスは戦争や天災で当分大忙しです 「これしかなくてスイマセン」 自転車で来た人が順番々と一人だけ荷台に乗せていきました 「一人になって三…
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- 夏の日の夢(2018年09月17日)
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子供が「あっ」と叫んで目を覚ますことがある 夢を見ていたのだ 隣の部屋にキリンがいたとか 浜辺に一人ボッチだったとか 爆撃機が自分に向かって飛んで来たとか 信じて貰えないことばかり 寝ながら笑っている子がいる 寝ながら泣いている子がいる 子供は夢の世界と繋がっている 大人になるにつれ様々な世間の智恵を増やすが 多くのものを失っていく かつ…