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コラム …雪んこの頑張って咲きます♪
異国の地で一味違う彼女に再会したのは何年前だろうか。
懐かしき彼女は、あのときと違った。そう、彼女は確実に階段をのぼっていた。
私は、日々のぼる階段がときに辛く思えるときがある。
物事に打ち込み過ぎる傾向にあるので、その結果、からだのどこかを痛めるようだ。
しかし、長年培った学習能力があるので決して無理をしない。
近頃の私は、後退、つまり、階段をおりることはないが、ときに立ち止まり、ゆっくり、ゆっくり一歩ずつ踏みしめてのぼればいいと痛感している。
いや、おりることには何の抵抗もないが、苦しくても上にあがることに意義を見いだす性分にある。
彼女の話に戻ろう。
私が彼女に出会ったのは15年ほど前だった。
メガネこそかけていたが、愛くるしい彼女に私はひと目で好感を持った。
そして女子大生の彼女は恋を知らなかった。
純な彼女が、大人の女になったのは、それから何年かした「ベトナム」の地であった。
その異国の地で、変らぬ笑顔が私を迎えてくれたが、笑顔の先には、恋をした女の姿が私を一層の喜びに変えた。幸せな彼女をいつまでも応援したいと思った。
だが、恋と現実の狭間で、彼女はその後揺れたことだろう。私もそれは同様に感じていた。
その何年か後、彼女の結婚式に出席した。
これほどまでに、美しい彼女に驚嘆したと同時に安堵を覚えた私がいた。
隣に並んでいた彼が異国の地で会った彼ではなかったことに…。
それからまた何年かたったとき、母である彼女と会った。
幼い子供達を抱えながら、一生懸命、不慣れな母をしていた。
その姿が嬉しく、また心配で、彼女をみる自分が、まるで母のようだったかもしれない。
今日、彼女にまた7年ぶりに会った。
変らぬ笑顔と細かい気遣いが私の心を満たしてくれた。
そして癒される彼女との時間の中で、余裕さえ感じた、たくましい母になっていた彼女をみた。
確実に彼女は一歩一歩階段をのぼっていた。
もしかしたら、立ち止まったり、階段をおりたときもあったかもしれない。それをみじんもみせない彼女は一流の母であるとともに一流の女だった。
どこかで追い越されたかなと、私はひそかに薄ら笑みをこぼしていた。
おっと危ない、高いヒールで階段を踏みはずすとこだった。(笑)