社会
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国会の論戦がつまらない理由はいくつかあるが、その一つは明治憲法で帝国議会が開設されて以来、政府側の演説(麻生首相が最初の所信表明演説で民主党の政策にケチをつけたが、あれはルール違反)を除けば、質問と答弁という形式でしか発言が許されない議事慣行がある。政府側は質問に答えることはできるが、それを超えて反論することは答弁の域を越えるのでできない。したがって、野党は確たる対案もなしに無責任な政府攻撃をおこなう。それを埋合わせるために与党は政府への八百長的質問の中で野党を攻撃する。与野党が正面から議論を戦わすことは無い。(テレビで各党の討論番組があるが、これは本来国会で行うべきものだろう)。この弊害を是正するためにクェスチョン・タイムなる首相(与党党首)と野党党首の対等の討論の場が設けられたのは一つの前進として評価できる。
ただ野党党首の中には、この趣旨をわかっていない人もいたようで、この制度が導入された当初、社民党の土井委員長(当時)は、森首相(当時)に自分に都合の悪いことを言われた際「そんなことは質問していない」などとおっしゃっていた。質問されていないことでも自由に発言できるのがこの制度の趣旨であるのに。
議院内閣制にあっては、政府は与党を代表して法案を国会に提出しているのであるから、与党のなれあい的質問など時間の無駄。しかも質問時間は議席に応じて割り振られるので、無意味な与党の質問時間が最も長い。
発言に関して、議長は事前に包括的許可を与えて、議事が混乱したときだけ乗り出せばいいのではないか。議長が一々「何とか大臣誰それ君」と指名するのも、答弁者が一々、答弁席に足を運ぶのも、「お答えいたします」と言うのも時間の無駄。アメリカ議会がそうであるように答弁者の前にマイクを置いて座ったまま答弁させればよい。
先日、予算委員会で民主党の石井一(はじめ)議員が麻生さんに対し漢字テストを行って不評を買ったが、この委員会ではどんな問題を取り上げてもいいことになっている慣行を改めて実質的な政策論争の場とすべきだろう。
中継されるのは本会議と、予算委員会の一部だけ。他の委員会ももっと中継すべきだろう。政治評論家の田中良紹氏がNHKに、教育テレビチャンネルも利用して国会中継を増やしたらどうかと提案したところ、NHKの回答は「教育テレビは教育的に意味のあるものに限るので、できない」と言われたそうである。国会中継は高校野球ほども教育的意味がないのであろうか。
現状の国会審議はテレビ番組として魅力あるコンテンツとは言えないが、全国民に注視されていると思えば大臣と野党議員諸氏の心構えも違ってくるであろうし、それが反映して国会審議も変わる可能性がある。そうなれば原稿を棒読みするのではなく、丁々発止のやり取りができる人でなければ大臣も務まらなくなる。
(ジャーナリスト 青木 亮)
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