トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ なぜ神は、カインの献げに物に目も留めなかったのか
外交評論家 加瀬英明 論集
私は聖書を読むほどに、キリスト教になじむことができなかった。
「創世記」の冒頭部分に、楽園を追われたアダムとエヴァが、まず、カインを産み、その弟のアベルが生れる話が、出てくる。
「アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。時を経て、カインは土の実りを主のもとに献げ物として持って来た。アルベルトは羊の群れの中から肥えて初子を持ってきた。主はアベルとその献げものに目を留められたが、カインとその献げ物には目も留めなかった。カインは激しく怒って目を伏せた」 (4-2~5)
牧畜民族の神であるから、土から得た農産物を見ても、喜ばなかった。ユダヤ教、キリスト教も、土に親しむことがなかった。
私は中学生だったが、理解に苦しんだ。小学生のころから稲穂や、米粒が尊い物だと教えられて、育ったからだ。
日本民族は一千回耕された畑をまた耕すのに、大きな意味を見出してきた。アマテラス大御神が高天原の営田と呼ばれる稲田で、農作業に勤しんでいるのと、対象的だ。
いま、キリスト教が寛容な宗教に変容しつつあることは、嬉しい。
ローマ法王が、ユダヤ教のシナゴーグ(教会)を訪れて、祭壇の前に跪いたり、他の宗教と交流するようになっている。
私にとって、日本化したキリスト教は、受け容れやすい。
私は強いて信心を問われれば、神道だと答える。私は日本人なのだ。
ユダヤ人と日本人は、部族的であるところが、よく似ている。神道も、ユダヤ教も、部族の宗教である。
いつも、私は新年に家から近い靖国神社と、赤坂の豊川稲荷に詣でる。狐も、祀られている。豊川稲荷の御祭神は、ダキニ真天でいらっしゃる。
ダキニ真天の出自は、インドの大地母神であるカーリーに仕えている鬼女である。カーリーは真黒で四つの顔と、四本の腕を持つ。四面四背の恐ろしい姿を、している。
私はチベットで過ごした時の感動を忘れられない。チベットの人の高い霊性に、感服している。
チベットでも、ダキニ真天は夜叉であって、人肉を食らう、恐ろしい神である。
神々も、人や、文物と同じように、国境を越えて、自由に動く。
中国の道教の恐霊である鐘馗も、日本に渡って来てから、おとなしい神に変わった。日本は、優しい文化なのだ。
キリスト教についても、日本に伝来してから、同じことが起こった。だから、日本の大多数のキリスト教信者は、キリスト教の恐ろしい顔を知らない。
日本ではよく知られていないが、ヨーロッパのキリスト教会には、1913年というから、大正2年になるまで、宦官がいた。
1878年ローマ法王のレオ13世が、新しい宦官の雇用を禁止した。当時の宦官は主として聖歌隊のカストラートだったが、これによって最後のカストラートが辞職したのが1913年のことだった、やはり、牧畜の民であるのだ。
私の家には、仏像や、マリア像や、ガネーシャや、韓国・済州島の道祖神であって、火山灰岩からつくられた、御地蔵を思わせるトルハルバンなど、さまざまな像がある。
私は毎日、万民豊楽と万教融和を願って、これらの像に向かって、両手を合わせて祈っている。
私の書斎には、ガネーシャの像や、豊川稲荷の神狐や、ベトナムの石仏や、西アフリカの精霊の木製の彫刻があって、心を和ませてくれる。
黒い瞳をしたイエスの聖画を、加えたいと思っている。
ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたか 五章 エルサレムで考えたこと