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人の心をとらえ続けた死刑囚(下)
2017年11月28日
この頃、永山は沖縄出身で米国在住の25歳の女性と手紙を介して知り合う。彼女は日本に来た際に『無知の涙』を知り、自分も母親に捨てられたも同然の境遇にあり、強く共鳴、拘置所にいる彼に手紙を送ったのだ。文通で始まった二人の交際は彼女からの申し出により結婚にまで発展、このことが永山を大きく変えた。
一審では反抗的で強硬な姿勢を崩さなかった彼が、裁判長の質問に素直に答えるようになった。自分を捨てたとして憎んでいた母親にも手紙を書き始める。結婚した女性は被害者の遺族を訪問し続け、彼が出版で得た印税収入を手渡しで届けていた。こうして控訴審では無期懲役に減刑された。少年法では18歳未満の少年には死刑を科さないとしていて、犯行時に19歳の被告には死刑は可能だが、少年法の精神は年長少年に対しても生かされなければならないとした上で、犯行当時の被告の精神的な成熟度は実質的に18歳未満の少年と同視し得るとしたのだ。
この判決に対しては一部マスコミを中心に強い反論が巻き起こった。東京高等検察庁は永山の死刑を求めて最高裁判所に上告した。最高裁は二審を破棄し、東京高裁に差し戻すという判決を下した。この流れでは東京高裁での差戻審では死刑判決になるのは明らかで、事実、4年後の1987年にそうなった。
永山則夫は『無知の涙』をはじめ多数の著作を世に出したが、彼自身についても多くの人が書いてきた。事件と裁判を克明に追った『死刑囚 永山則夫』(佐木隆三・著 1994年 講談社)という労作があるが、近年になって、埋もれていた資料に取り組み、興味深いドキュメントに仕上げた女性ライターがいる。広島県生まれで、地元のテレビ局で記者、ディレクター経験を持つ堀川惠子氏だ。
千葉県柏市の民家に保管されていた永山の遺品の中に段ボール10箱近くの書簡類があり、半年かけて1500通余に目を通した。それをもとに『死刑の基準 「永山裁判」が遺したもの』(2009年 日本評論社/2016年 講談社文庫)を著した。また、一審において永山の精神鑑定が2度行われ、2度目の鑑定は8か月に及び、鑑定書の内容も非常にすぐれたものだった。その時の録音テープを担当の精神科医が全部持っていた。全部のテープを時間と手間をかけて聞き取って、まとめあげたものが『永山則夫 封印された鑑定記録』(2013年 岩波書店)だ。堀川氏は当時の関係者を尋ね回るなど丹念な取材も併行し、永山裁判を巡る人間ドラマを描き出している。著書の多くが出版各社のノンフィクション部門の賞を得ているのもうなずける。
今年になって新たな永山関連書が刊行されている。2月には、永山が獄中結婚した女性と送り合った手紙をまとめた『死刑囚永山則夫の花嫁』(嵯峨仁朗・著 柏艪舎)。著者は北海道新聞記者で、永山裁判を傍聴し、本人にも取材したことがある。それに続いて『永山則夫の罪と罰』(井口時男・著 コールサック社)。文芸評論家の著者がこれまでに発表した永山にまつわる文学論や俳句、書評などが収録されている。永山が愛読し、強い影響を受けたドストエフスキーの『罪と罰』の主人公と彼を重ね合わせた論考が鋭い。
また、かつての支援者の思いがかなって永山の遺品を公開する施設が東京都北区に開館した。死後20年たっても彼は人の心を動かし続けている。(おわり)
山田洋
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