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外交評論家 加瀬英明 論集
もう一つ、新世界と旧世界を大きく分けていたのが、聖職者の地位だった。
はじめて新世界に到着した人々は、旧世界において力を振るった宗派から、迫害を蒙った清教徒だった。そのために、聖職者に権力を与えることを嫌って、警戒した。
そして、他の宗派の信者が新世界に着いても、旧世界のように異端とみなして、圧迫することがなかった。アメリカでははじめから、政教分離が行なわれたのだった。
今日でも、アメリカで宗派は平等であって、共存している。
そのために、宗派は新大陸では今日にいたるまで、旧大陸のようにセクト(分派、党派)と呼ぶかわりに、「……と呼ばれる」「表示する」「ディノミネート」を意味する名詞を用いて、ディノミネーション(名称、呼称)と呼ばれている。
それぞれの宗派は、人々と同じように、自由に競えばよいとされた。
どの宗派であれ優位に立って、他を服従させようとしてはならなかった。宗派が政治に干渉することがあってはならなかったし、政治は宗教に対して、中立であるとされた。
もっとも、アメリカではカトリック旧教は、深い猜疑の眼をもってみられた。
旧世界では、ローマ法王を頂点とするカトリック教会が国家権力と手を結んで、聖職者が政治に介入して、勝手気儘に振る舞っていた。
そのために、カトリック教会はヨーロッパの手先ではないかとみられて、疑われた。このような偏見が力を持っていたために、ジョン・F・ケネディがカトリック教徒として最初の大統領となって登場するのに、1961年まで、待たなければならなかった。
アメリカはキリスト教への信仰によって、築かれた国であり続けている。
アメリカのドル紙幣には、「イン・ゴッド・ウイ・トラスト」(われらは唯一神を信じる)という標語をはじめ、私たちには見慣れないキリスト教のシンボルが、刷り込まれている。
歴代の大統領は、オバマ大統領にいたるまで、就任式に当たって、ジョージ・ワシントンが初代大統領として、“So help me God”(主の御加護を)と述べたのを、踏襲している。
ジョージ・ワシントンをはじめとして、歴代の大統領は、ことさらキリスト教の敬神の念が強かった。あるいは、国民にキリスト教への帰依心が強いことを、示さなければならなかった。
ワシントンは就任演説で、「全人類の寛大で、優しい親神である主の加護」を乞うたが、それ以来、どの大統領も演説するたびに、「全能の神」による祝福を、求めてきた。
なかでも、第11代大統領のジェームズ・ポーク(1795年~1849年)は、敬神の念が強かった。
ポーク大統領といえば、「北緯54度40分までを、領土に!しからずんば、戦争を!」と戦争熱を煽って、1846年のアメリカ・メキシコ戦争を仕掛け、現在のニューメキシコ、ユタ、ネバダ、アリゾナ、カリフォルニア諸州を奪って、太平洋岸へ向けて、大きく領土を拡げたことによって、知られる。
ポークは、敬虔なキリスト教信者で、ホワイトハウスで飲酒とダンスを禁じたのに加えて、安息日である日曜日に仕事をすることも、禁じた。
その後、20世紀に入ってから、1919年にわざわざ憲法を改めて、禁酒条項を設け、全国で酒の酒造、販売、飲酒を禁じたのも、この線上にあるものだった。密造酒が全国に氾濫して、健康が蝕まれ、アル・カポネなどの暴力団が、勢力を大きく伸ばしたために、ようやく14年後に、また憲法が改められて、禁酒条項が撤廃された。
ジミー・カーター大統領は、南部のジョージア州の寒村で、ピーナッツ農場を経営するかたわら、毎週、日曜学校で聖書を教えていた。
レーガン大統領は、信仰心を強めようとする、全米にわたる強力な「モラル・マジョリティ」運動によって支えられて、大統領に選出された。
在任中に演説するごとに、はじめてイギリスからマサチューセッツ湾に上陸して清教徒が、新世界を開拓するのに当たって用いた、「丘の上に、光り輝く都市を築こう」という聖書の一句を、アメリカが目指すべき目標として、引用した。
ブッシュ(子)大統領は、「ボーン・アゲイン・クリスチャン」として、知られる。生まれ変わったクリスチャンだ。
『ヨハネの福音書』のイエスの「あなたがたは、生まれ直さなければならない」(3章7節)という言葉から、とったものだ。ある日、目覚めて改悛し、心を入れかえて、信者として真摯に生きることを、誓った者をいう。
ブッシュ(子)大統領は青春時代に大酒をのみ、放縦な生活を送っていたが、“生まれ変わる”体験をして、その時から酒を絶ち、真面目な生活を送るようになった。
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