トップページ ≫ コラム ≫ 埼玉の余話 ≫ 埼玉の余話2011.01.28
コラム …埼玉の余話
・久しぶりに政治家の名スピーチを聞くことが聴くことができてホッとした。政治家も捨てたものではないなと。先日のふじみ野市、市長の新春の集いでのはなしだ。高畑市長のはなしは聴衆をうならせた。間の取り方、声帯、格調、気配り、態度等、居並ぶ国会議員の先生方も静かに聴き入っていた。首長たるもの堂々たる演説が出来なくてはその資格を疑う。やはり向上心とか前向きの生き方がそうさせるのだろう。もちろん天賦の才もあるだろうが。
・市長と議会は二元代表制だが、マスコミが騒ぐほど各市で市長と議会がいがみ合っている訳ではない。ただ、名古屋の乱のように極めて個性的な河村市長が思い切った対議会戦争を勃発させてしまったから、そんなに両者は険悪なのかと錯覚をおこしているのだ。最後は議会の議決で全てが決まってしまうというが、やはり市長側の執行権は強いものだ。そんなことは議会は心得ていて伝家の宝刀をぬけないで構えをみせているだけだ。そして、その構えを見透かしながら首長は上手に対策の手を打っていくのが現状だ。しかし、あまりにも党利党略にばかり走っている議会には首長はその火の粉を払わなければならないし、また、自分が選ばれてきた証を立てるためにも自分の考えにより近い議員を作っていくことは自然の理だ。さいたま市長達の思い切った行動に正しい答えがでれば、その市長を選んだ側も心から満足するだろう。何しろ清水市長は圧倒的多数の市民の支持を得て誕生してきたのだから。