トップページ ≫ 文芸広場 ≫ 県政の深海魚(1)「市政の裏側」
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「奴の件はどうなりましたかね?」
「今色んな策を練ってきてね。やっと秘策が上手く出来ましたわ。まあ、任せて下さいな。必ず奴は乗ってきまさぁ」
「どんな秘策かね?」
「まぁまぁまぁ・・・」
年嵩の二人の男の間に、一時の沈黙の時間が流れた。この沈黙は、二人の間の慣れ親しんできた〝間〟といってもよかった。
時々、座敷の裏の竹林を浅春の独特の風が鳴った。風は竹林を通り抜けると、蒼い風となって山里へ向かって消えた。
「こま」という料理屋は、H市の奥の小高い山の麓にあった。周りには一軒の民家もなく、人里から隔離されたような深い寂寞の中にあった。
H市の市長、西川と西川の昔からの参謀山崎は重要な密談の場として「こま」を必ずといっていいほど利用した。
春宵の秘話や謀議を重ねるには格好の場だった。
「とにかく今度の市議会で、この二億五千万の道路建設予算が通らなかったら、それこそヤバイですぜ」と市長の西川は顔を若干曇らせて言った。
「あの土地は、十五軒の市民の道路建設の要望を無視してきたところだ。ところが、Y不動産の開発のために絶対に必要だということで急に道路を造るんだからね・・・」
事実、もう五年前ぐらいから、十五軒の住民達から必要な生活道路として陳情を受けていた土地だった。
しかし、H市はその件を曖昧にしてきた。
そしてその民家の裏に、百軒程度の住宅開発の許可をY不動産が、古手の市議会議員を介して求めてきた。
もちろん、その市議会議員は西川市長とは切っても切れない仲で、すでに六期の長老だった。
小田というその議員は、西川の提案する議案を全てまとめていた。同時に、自分の利権に関係する案は、裏に回って市長に予算を付けさせていた。そして、その見返りとして西川の市長選を全てしきっていた。
今回の予算も、小田とY不動産の合作であり、西川の参謀山崎にとっても大事な収入の源だった。
西川個人は、H市でも有数の資産家でもあり、利権にはあまり興味を示さなかった。
しかし、権力には貪欲だった。権力の維持には、小田と山崎という裏を仕切る人間が絶対的に必要だった。西川は知とか策とかには、それこそ縁遠い人種といってもよい。
しかし、小田と山崎は知謀と策略に富んでいた。人間の欲望を絵に描いたような人間だったが、他人の欲望にも察しが早かった。
この三人は、持ちつ持たれつ西川をシンボルとして四期十六年近く、市政を支えてきた。
沈黙の後に最初に口火を切ったのは市長の西川だった。
「山崎さん、いくら秘策といっても敵は手強いですぜ。奴の攻め口は鋭くて、部長達みんな参ってんだから・・・」
待ってましたというように山崎が答えた。
「そんな事はとっくに分かってまさぁ。住民の要望より開発業者の方を先にやってしまおうと言うんだから。奴は許すわけはねえですよ。だから、その前に奴を落とすんですわな」
意味ありげに山崎は薄い笑いを西川に投げかけた。
「へえ、奴を議会の前に落とす・・・って言うと、どんな風に?」
西川には全く考えなど浮かんでこなかった。
「へっへっへっ・・・これですよ、ほら―」
山崎は山仕事で鍛えたシワだらけの太い右腕の指を丸めて見せた。
「なるほど。それでどのくらいかね?」
西川は余裕をみせながら尋ねた。
ぐっと三本の指が突き出された。勿論、そのうちの一本は山崎の懐に入ってくる。そのくらいは鈍感な西川とて分かっていた。
「でもなぁ、それで奴は転びますかな。とにかくウルサイ奴だからなぁ」
「なに、大丈夫でさぁ。奴とて男でさぁ。次はこれよ」
山崎の右腕の小指が異常に立った、というより、ぐっと立てたという方が適切かもしれない。
長年に亘って、地方の政治の黒幕として暗躍してきた男の、トレードマークのような指で作った下劣な丸だった。そして品格のない太く長い小指だった。
「ヨーシ、それでいきましょうや。後は頼みますぜ」
西川の顔にやっと笑みが浮かんだ。
山崎が大きく両手を叩いた。
「ハイッ、ただいま」
女将の返事が聞こえた。するすると障子が開いて、芸者の千代菊が当然のように入ってきた。挨拶の一つもなかった。
「何かいいこと決まったの?」
西川と千代菊は、もう十数年もの深い男女の仲だった。
千代菊も又、裏の裏の参謀だった。決して美人とは言えなかったが、こまたの切れあがった四十そこそこの女だった。色香という点ではそれなりのものがあった。男好きのする少しふくよかな熟女だった。陰謀の才ということでは、小田や西川と甲乙付けがたく、女という有利さを持って、今日まで多くの政治家達を翻弄してきた。その度に蓄財は山となった。妖しげという言葉は、この女のために作られたものだったかもしれない。