トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 住む家は人間の精神を表す
外交評論家 加瀬英明 論集
それにしても今日のマンションは、見せかけだけの便利さや、モダンさを売っているようである。だが今のマンションのほとんどのものは、社会の変動期に生まれた、安直な住まいである。住みにくい一つの理由としては、日本人にとってはビルディングといえばオフィス・ビルであって、住居用のビルディングまでオフィス的に造ってしまうからかもしれない。もっとも、そのうちに日本人がマンションに住むのになれ、住みかたが身につくようになると、客の要求を入れたような住まいに変わっていくことだろう。
そういえば窓も、みな事務所のように引き戸になっていて、外へ向けて開くようなものはない。和室があっても、和室といえば一方が外へ向かって大きく開いていなければならないのに、壁によって囲まれているので、会社の宿直の守衛室のようになってしまう。
とにかくマンションに住むことになれていないので、造るほうだけでなく、住むほうも安易であるようだ。家具をとってみても、せっかく高価な家具を買ってきても、手入れの仕方を知らないので、使い捨てのようなことになってしまう。だから家具に威厳がないのだ。
これまで私が見たようなマンションでは住む人は、夫も妻も子供も、ほんとうにくつろぐことはできないだろう。だからどこかで緊張して生活しなければならない。くつろげないような住まいというのは、どこかが誤っているはずだ。丹精して磨くようなところがないような住居ではくつろぐことができないのかもしれない。それにまた名前のことになるが、まやかしのカタカナの名前がついているかぎり、日本のマンションは贋物であり続けることだろう。知人が住んでいるマンションの名前をあげてみても、「シャトー」とか「エーデルワイス」とか、「パインクレスト」というのがある。「パイン」はパイナップルだろうか、松なのだろうか。何か住むところよりも、連れ込みホテルの名前のようである。
私はアラビア語はできないが、もしアラビア語でトイレットとか、ゴミ箱という言葉が絢爛な響きをもったものだったら、「-代官山」とか「-広尾」といった名前は喜ばれるかもしれない。今日のマンションの大多数の実態からいったら「六本木カタストロフ」とか「赤坂デイザスター」といった名前のほうが似合っていることだろう。後で客が辞書をひいて意味を知って仰天したら気の毒であるが、そのほうが内容を適切に伝えているかもしれない。
日本は明治維新によって、ほとんどの人々が先祖代々住んできた家を失ってしまった時から、人間が品位をなくしてしまったのではなかろうか。美しい家を潰して、合理的な住まいに置きかえた果てが今日のマンションなのだろう。結局は住む家は、人間の精神を表しているのである。衣食足って礼節を知るというが、戦後の経済成長によって衣食は十分に足りるようになったのだから、そろそろもっとも身近なものの一つである家について、真剣に考えてもよいはずである。
個性の時代 ミーイズムのすすめ 7章「家庭」のなかの個人