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日本プロ野球のスーパースター長嶋茂雄さんが6月3日に亡くなり、テレビをはじめマスコミはその話題で持ち切りだ。SNSでは長嶋夫妻とその子女4人について、まことしやかな個人情報までが飛び交っている。
そうした中で、長嶋家については誰よりも詳しいはずの人を思い出した。長嶋さんより1歳上で、21年前に亡くなった元報知新聞記者の新宮(本名・瀬古)正春さんで、時代小説作家としても活躍した人だ。私も新聞記者を辞めた後の彼が、プロ野球選手情報を子ども向けに書いた本の編集担当になったご縁がある。
彼が巨人軍担当記者だった1964年に「ON五輪を行く」という連載記事を受け持った。その中で、五輪コンパニオンの女性たちと王・長嶋両選手の座談会が催された。コンパニオンの人選を任された新宮さんは、五輪組織委員会の資料をもとに彼女たちの自宅に電話した。元首相、宮家、外交官の子女など留学経験者ばかりだ。最初にOKが取れたのが、アメリカの大学を卒業したばかりの21歳の西村亜希子さんだった。
ほかに4人が出席した座談会の終了後、西村さんの弟が大学野球部員ということもあり、ONと新宮さんは代官山の西村邸に寄ることになった。翌日、長嶋さんに頼まれて彼女の自宅の電話番号を教えた。
それからは毎日、彼女に電話をかけ、がむしゃらにアタックしていた。新宮さんも彼が本気なのは察していたが、初対面から100日ほどで結婚に至るのは驚きだったようだ。良家のお嬢さんには、野性あふれる男性からの強引な求愛には「NO」とは言えなかったのかもしれない。
こんなこともあり、新宮さんは長嶋さんからの信頼が厚かったのは確かだ。ただ、彼を特に持ち上げるような記事執筆はしていない。プロ野球関連の著書を読んでもそれは明らかで、常に他の人の意見も併記している。さらに小説家独得の表現技術で読者を楽しませてくれる。
新宮さんが存命なら、もっと興味深い長嶋エピソードが聞けたのにと思わずにはいられない。
山田洋
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