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外交評論家 加瀬英明 論集
ショールームを見ていると、3LDKが標準になっているようである。ショールームだから小綺麗につくられているが、日本は地価が高いために、どの部屋をとってみても何といっても狭い。たいてい3LDKの内わけは、応接間(リビング・ルーム)に仕切りがないまま、食堂(ダイニング)のスペースが続いていて、台所(キッチン)がわきにある。それから三つの独立した部屋があるが、一つは夫婦の寝室で、あと二つは子供の部屋にあてることがもっとも一般的であるらしい。夫婦に子供二人というのが、標準的な家族となっているようである。
昨年、ちょうどアパートを買おうと思って探していた時に、私はある大手の建設会社から頼まれて、住宅について討論に参加したことがあった。建設会社によって、最近、顧客からのもっとも強い要望をあげれば、男性にとっては書斎を持つことであり、女性側にとってはアイロンがけや、裁縫などの家事をするためにユティリティー・ルーム(「家事室」よりは、こう呼ぶらしい)を欲しがっているという説明があった。
日本では女が財布を預かっているうえに、家庭は「女房の城」となっている。新たにマンションを買う時には、女―妻の好みに合わせて計画することが多いようである。すると女性が自分の都合に合せて盲目的にプランしたところに、夫が強制的に住まわされることになってしまう。そして男は外で勤勉に働くが、日本は仲間的な群意識によって結ばれている社会であって、つきあいに費やす時間が多いので、ほとんどの日には夫は家に寝に帰るだけの生活を送っている。
もともと日本では、女のほうが男よりも強かった。戦前、男が家長として威張っているようにみえた時でも、妻が男の着物を揃えたように、夫は妻を個人として独立した女性としてみるよりは、妻のなかにある母性を頼りにしていたのだった。日本の夫が妻に向かって、やれ「お茶!」、「新聞」、「紙!」といったように怒鳴っているのを外国人が見聞きすると、日本では男性が暴君であるように誤解するが、実際には女性を支配しているのではなくて、駄々っ子が母親に甘えているようなものである。母性に訴える横暴さなのである。
伊藤博文が酔うと美妓の膝枕をして、天下を考えたというのは有名であるが、カーターや、ケネディやブレジネフが膝枕をしているところは想像できまい。京都大学の河合隼雄教授の『母性社会 日本の病理』(中央公論社、昭和五十一年)を読んでいたら、次のような指摘があった。「昔の父親は家長としての強さを絶対的に有しているが、それはあくまでも母性原理の遂行者としての強さであって、父性原理の確立者ではなかった。・・・お人好しのアメリカ人はこのあたりの事情がまるで解らなかったのであろう。男尊女卑の後進国日本の発展を願って、日本の父権制度をこわしにかかったし、もともと強くなかった日本の父親たちがたちまち降参したのも当然である。かくて日本はグレートマザーの国になった」。
戦前の男の権威は大多数の家庭において、民法によってかろうじて支えられていたのだろう。そして、あっと気がつくと、男は家庭から締め出されていた。
そして女性の論理が、家庭を支配するようになった。それに日本では夫が妻を一人の女性として、自分の妻としてみるよりも、子供の母親としてみがちである。
夫と妻とが互に呼び合う時に「パパ」、「ママ」、「お父さん」、「お母さん」というのは偶然ではあるまい。西洋ではありえないことである。そこで日本では妻に母親の役目を期待するあまり、せっかく結婚したのに、夫婦で共通の体験を分かちあおうとするよりも、男の領域と女の領域とに互に立て籠ってしまうことになる。
個性の時代 ミーイズムのすすめ 7章「家庭」のなかの個人