トップページ ≫ 文芸広場 ≫ 県政の深海魚(24)「千曲の策謀」
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「神戸先生、中央の経済人達に理解者がかなりいることをしっかり掴んだ。協力も約束してくれた。後は中央の保守党幹部だ」
興奮して急き込んだ春彦は叫ぶように言った。
「やりましたね。今度は中央突破ですね」
神戸はときめいた。
保守党幹部の幹事長阿賀野は次の有力な総裁候補であり首相候補だ。
幹事長室には記者が詰め掛けている。
「全く信濃先生の言う通りだ。そして皆さんのエネルギーが我が保守党を支え、そして創造の礎となってるんです。分裂は困りますが大いに派閥活動をしてください」
「ざまあみろ!これで、おめえ、千曲達はぎゃふんだべ、なぁ」
北山は鬼の首でも取ったように喜んだ。
「乾杯といこうや!」
白石の言葉に皆が従った。
「今度は俺達の正当性を徹底的に訴えていこうや」
興奮がいつまでも続いていた。
―― 今頃、千曲はどんな手を打っているのだろうか?
春彦は独り醒めていた。
―― 相手は常人ではない。策謀にかけては天下一品だ・・・。
「春彦さん、千曲の動きは凄いわよ、くれぐれも気をつけて」
礼子の電話はかなりの危機感をもって伝わってきた。
千曲の照準はしっかりと決まっている。幹事長の白石だ。白石は千曲にとって弟分で相性も良い。今回、白石が春彦に付いてきたのは白石独特の時流を読む勘だ。
春彦には大海を見る能力がある。千曲も白石もその点では一致していた。
千曲は読んでいる。
(たまたま白石は信濃に付いただけだ。くすぐればまた俺の懐に必ず戻ってくる。そうすればしめたものだ・・・)
千曲は獲物を狙う鋭い禽獣となっている。
「どうも俺達の情報がそのまま千曲の方へ流れているようだね」
〝八風吹けども動かず〟を信条としている伊南が訝しげに言った。伊南は温厚だが鋭い勘の持ち主だ。
事実、役員会で極秘に話し合った事が千曲に伝わっていて、逆手を取られる事が多々あった。
例えば、保守党S県県連大会での出来事だ。知事選の反省と統括、派閥の認知を提案しようとすると同時に、緊急動議が出された。
「今後、一切の派閥を認めない!県連の会則の改正を動議として提案します!」
千曲の側近で最も強硬派の狩野が大声で発言、議長の下田は強風に押し流されるような形で動議を認めて会則の改正はあっという間に可決されてしまった。
県連の総会は怒号が飛び交ったがそのまま閉会となった。同時に三人の県議が第一議員団を脱会。千曲のもとに還った。
満面朱を注ぐようにして春彦はショックをあらわにした。
千曲は脱会者の身体を抱きしめた。莞爾として笑った千曲の分厚い眼鏡は次の獲物を狙っていた。
千曲は一本釣りを考えていた。
白石からの情報で、心がぐらついている者の名前をしっかりとメモに留めていた。
「よう、先生。先生のとこなぁ、次の県議選で新人が出たいと俺んところへ来てるんだよ。いいかな先生、そっちの方を保守党公認にしちゃって」
千曲からそんな電話をもらうと選挙に弱い者は当然の事として心が揺らいだ。
半年で五人の県議が脱けた。
「まずいな。このままで行ったらかなり厳しいところへ追い込まれるな」
春彦は最も信用している神戸に呟いた。
「白石の存在を何とかしましょうよ。彼の存在が皆をおかしくしちゃってますよ」
神戸は完全に白石を恨んでいた。
こんな状況を面白くないと感じていたのはS県選出の国会議員達だ。
「このままだと千曲の独裁になっちゃいますな。それよりも派閥の存在の方がずっとましだと僕は思うがなぁ」
日頃から千曲の存在を訝しく思っている馬渕はけしかけるように下田に言った。
下田が春彦に面会を求めてきた。
開口一番、下田が言った。
「私はね、信濃先生達の言っている事が正しいと思っているんですよ、本当はね。どうですか、保守党を正しい方向に持って行きましょうよ、一緒に」
「これは下田先生、嬉しいですね。是非そうして下さい。私達は本気で保守党を愛しています。唯、千曲先生の専制的なやり方に反発してるだけなんですから」
春彦はつとめて冷静さを装っている。
「そうそう、問題はね、信濃先生の言う通り千曲君のあり方なんだな。ありゃ少しおかしいよね」
下田についてきた馬渕は急き込むように横から口を出した。
「信濃先生、信じて下さい!我々は良識派ですから」
力むように下田は胸を張った。
部屋の外には下田のSP達が用心深く壁に張り付いている。
この秘密会も千曲に洩れた。
「如何なる事があっても、我が保守党は一枚岩でなければなりません。どうか今後の県連運営については、いやいや、そのうちの県議団の事につきましては、私共、県議会議員にお任せ下さい。身内の問題ですから!」
千曲は下田に有無を言わせぬ厳しい口調で言い切った。千曲の凄まじい剣幕を前に口を挟む者はもはや誰もいない。
もう秋が近づいていた。
県庁の裏の銀杏の大木が黄色の手を何本も広げていた。
その遥か彼方の青空には白い雲が悠々と遊んでいる。
二十五名いた同志が十四名に減っていた。
春彦達は最後の結束のために集っていた。
NTBが十四名の特集を明朝放映したいと申し込みがあり、結束の証しとして署名簿を画面に出したいとの意向が示された。
その夕方、NTBから春彦のもとに緊急の電話が入った。
「E市の豊川さんが急に脱会したようです。NTBの支局に本人から直接電話がありました。当社としても十四名の志士として企画した手前、明日の放映は中止致しました。申し訳ございません」
豊川にも千曲の手が伸びていた。
引き裂かれるような痛みが春彦の身体を走った。
ニンマリと笑っている千曲の顔が鮮明な形となって春彦の脳裏からずっと離れない。
そして白石。そういえば三ヶ月前、千曲と白石が抱き合うように肩を組んで飲み屋街の路地に消えていった光景を春彦は見てしまっている。
翌々日。
黒部から春彦に電話があった。
しかも午前二時。
黒部は春彦に心酔していて「誰が何と言おうが俺は最後の最後まで信濃先生について行くんだ」が口癖だった。
「先生、申し訳ねえ。俺・・俺・・先生を裏切ることになっちまいまして・・本当に、本当に申し訳ありません・・・。他のみんなも保守党に帰らなかったら離党勧告か除名だと、千曲さんから脅かしをくっちゃって・・先生、申し訳ありません、裏切っちゃって・・・」
涙で声が出なくなっている。
「先生から男の生き方を教えてもらっているくせに、こんなだらしねぇ姿をさらけ出しちまって・・・先生、今までありがとうございました。御恩は決して忘れません。金曜日までに保守党に帰らせて頂きます・・・」
「いいんだよ。仕方ないんだよ。政治にも人生にも出会いと別れはつきものだ。又、何処かで会おう。必ずな・・・」
春彦は悄然となった。そして精一杯の声で後輩の黒部を慰めた。
F県もK県も保守党は割れていた。
除名とか離党勧告など全くない。会派も派閥も離れながらも同じベクトルを目指していた。
それが時代の姿だった。
たった三人となった。
東沢と神戸、そして春彦。
「僕は独り残るから二人は帰って欲しい。今なら、帰れるから」
春彦はサバサバと勧めた。
「冗談じゃない!あいつらの元には絶対帰らない!戦ってきた証しを、必ず示してやる!」
神戸は怒れる鬼となっていた。
千曲の厳しい脅かしにあって保守党議員団に戻ろうとした者のうち、四人は宙ぶらりんにされた。
反省の色が無いからだと言う。
春彦は千曲に面会を求めた。
「先生、むごいじゃないですか。あの四人、正式に帰してやって下さい」
春彦はそれなりの物を手渡した。
「信濃先生、百万や二百万は銭じゃねえだろう」
勝ち誇ったように千曲は春彦の包みをつき返した。
(つづく)