トップページ ≫ コラム ≫ 埼玉の余話 ≫ 慶応高校は農業高等高校だった
コラム …埼玉の余話
甲子園を制したのはやはり慶応高校だった。やはりはあくまで私の予感と主観ということだ。神奈川県代表ということだが、埼玉と慶応は縁が深いということを知っている人達は意外と少ない。埼玉県の志木市にも慶応はしっかりとある。もともと農業高等学校だった。受験の難易度も全国有数。戦後まもないスタートだった。にもかかわらず、この世代の意地悪き輩は「もともとは農業高校だったくせに」と囁く者も結構いた。偏見に過ぎない。埼玉県議会にも8年に一度くらいは、義塾から当選者をだしてきている。かなり、鼻が高いと思われる人達もいた。ともあれ、陸の王者慶応だから仕方があるまい。創設者の福沢諭吉は、後世にこれだけ足跡を残しているのだからたいしたものだ。経済の慶応が、野球の慶応とまで全国に名を馳せるとは夢にも思っていなかっただろう。来年から一万円札は、福沢翁から渋沢翁に変わってくる。慶応OB達は少し残念がっているが贅沢な話だ。
鹿島修太
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