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コラム …男の珈琲タイム
日馬富士の暴力事件で改めて正義とか信念という、このどうにもならない人間の「性」を知った。宿命と言ったらよいのか。正義は絶対ではない。信念をもそうだ。しかし、絶対的な響きをもっているから厄介だ。正義や信念はある立場の人達から利用される便利な言葉でもあるし、姿勢でもある。古今東西、ほとんどの戦争も正義のためという美名によっておこなわれてきた。その指導者の信念。今回、貴乃花親方の正義感、信念は、一体何を協会にも世間にももたらしたのか。もっと彼が大人で柔軟性があれば、この暴力事件も日本人らしい解決をみたのではないか。一人の人間の正義や信念は往々にして狭量で独りよがりになりやすい。狭量なものは人の上に立つ資格はない。貴乃花親方には大物という人物像はとても描くことができない。
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