文芸広場
俳句・詩・小説・エッセイ等あなたの想いや作品をお寄せください。
山上の垂訓は「惨状」の垂訓です
―幸いなるかな 心の貧しき者よ―
素朴な者は常に人に遅れをとります
イエスは最初から逆説で語り始めます
―幸なるかな 悲しむものよ 彼らは慰められるであろう―
この世で一番あってはならないのが悲しみです
大切な人がいなくなってしまった 大事なものがなくなってしまった
私も悲しいです。 と寄り添ってくれるのが慰めです
それが「幸いなるかな」では理解に苦しみます
子供を亡くしたキサゴータミーに釈迦が説いたのが諦めです
悲しみが歓喜に変わるのはそれが奇跡に現状復帰したときです
一度無くしたものが手に入ると人は元の何倍も幸せになります
イエスは更に「義に飢え乾く者」も百%叶うと予言しています
イエスが語るのはもはやこの世の事ではないのです
遠い未来か、神の国の事です
「神の国は何処に在るのか」「すぐそこに在る」と言っています
長い間意味不明の言葉でしたが現代科学は多次元世界を予感しています
AIの空間には様々な雑電波が溢れています
心の波長が合わないと見えず聞こえ無い世界があります
悲しみは世界中にあり身近にあります
思い込みで自分で自分を悲しくしている人も大勢います
―心貧しき者達の悲しみが喜びに変わりますように―
世界中にはそういう方が大勢いるはずです
私もその一人として祈ります
山上村人
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