トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 叙情主義に陥る危険性
外交評論家 加瀬英明 論集
このような日本刀や、「我々は天皇というものを持っている、我々がごく自然な形で団結心が生ずる時の天皇。それから人命尊重以上の価値としての天皇」というような天皇制や、「武士の精神」に対する憑かれたような憧れについて読むと、人間社会と遠く離れてしまったところで、美の世界に酔ってしまっているのだと思う。ここには日本的な美の世界が持っている危険がある。あるいは日本語に備わっている危険なのかもしれない。
日本語によってつくられている、日本的な美の世界のなかで思い詰めてしまうと、純粋なだけに深入りしやすい。日本を絶対化しやすい陥穴がある。相対的な評価が入り込む隙間がないのだ。三島氏も、このような狭い一本道を進んでしまった、犠牲者であったのだろう。私はけっして伝統を軽視しようとは思っていない。伝統なしには、私たちは生きられない。しかし、伝統を取り戻そうとする時に、生活から遊離したものであってはならない。
もっとも三島氏には、このような世界のなかで迷ってしまいやすい性格があったのだろう。三島氏の小説は自然な必然性からでてきたものであるよりも、理知的に計算しつくされたものであって、感心させられても、人間的な感動がない。私なりに、三島氏と対象的な作家をあげれば、小川未明のような有機的な文章を書く人のほうが、肌に合う。三島氏の作品は精緻であるが、人工的でありすぎる。
これは先に引用した決闘と、民主主義の墜落とのことについてもいえよう。おそらく三島氏は決闘をしたことがなかったから、このようなことがいえたのだと思う。ボディ・ビルディングを始める前までは、三島氏は腺病質な若者であった。おそらく友達と殴り合って泣き喚いたことも、瘤だらけになったこともなかったはずである。それよりも捲き込まれる勇気もない青年だったろう。それ自体はけっして悪いことではない。しかし意見書をみても、「あくまでも武器で勝負を決する」とか、「刀に頼る外はなかった」、「軍というものは、男性理念を復活」すべきである、といった言葉が並んでいるが、率直に受け取れない。
おそらく少年、青年期に三島氏は自らを苛ませた、自らの怯懦の裏返しとして、頭のほうへ逃げたのではあるまいか。「お茶でもお花でもいいが、ピリツとしたものを見せるのはやはり武道ですね。たとへばイギリスの女性に、剣をどふやつて使ふのだと聞かされたので、ただ指先でパツと斬る格好をしただけで真青になつてふるへだすんですね。つまりなにか人にピリツとさせるものをもつてゐなければいけないといふことです。」(『勝利』、昭和四十四年六月号、「サムライ」、中山正敏氏との対談)というのを読むと、故人には気の毒であるが、ただ滑稽である。だから結局は、自分を殺すほどの勇気しかなかったのだったろう。
日本文化には、もう一つの危険がある。きわめて叙情的であることだ。軍歌から小説まで、叙情的である。日本人は論理よりも、叙情主義によって動かされやすい。
三島氏は「かなたから、白雪の一部がたちまち翼を得て飛び来ったように、一騎の白馬の人、いや、神なる人が疾駆して来る。白馬は首を立てて嘶き、その鼻息は白く凍り、雪を蹴立てて丘をのぼり、われらの前に、なお乱れた足搔を踏みしめて止る。われらは捧刀の礼を以てこれをお迎えする」(『英霊の声』)といったものや、月明かりのなかに浮上した回天から搭乗員が敵艦へ刀を抜いて斬り込むといった、安手としかいえない表現を多くのこしている。日本では手軽な叙情的、あるいは詠嘆調な詩や、小説が受け入れられてしまう土壌があるのだ。
個性の時代 ミーイズムのすすめ 11章 「日本の伝統」に学ぶ
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