トップページ ≫ 社会 ≫ 土門拳賞写真家とモハメッド・アリ
社会
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徹底してリアリズムを追求した名カメラマンの名を冠した土門拳賞は日本の写真界における代表的な賞だ。今年は高梨豊氏の作品集「IN’」が受賞、東京・銀座のニコンサロンでは受賞作の写真展が開かれた。
すでに喜寿を迎えた高梨氏が、シルバーパスを利用してバスに乗り、東京の街を撮ったものや、田舎を旅した際の風景写真が中心だ。最高齢の受賞者ということだが、長らく第一線で活躍してきた彼が、最近到達した世界と言えそうだ。
そんな高梨氏のキャリアの中でも異色の仕事を私がお願いしたことがある。1975年7月、マレーシアのクアラルンプールで、ボクシングのヘビー級王者、モハメッド・アリのタイトル防衛戦があった。試合の1週間前からアリの姿を追い、当時世界で最も有名だった男の実像を写し出すという企画だった。
週刊誌の編集部でグラビア班に移ったばかりの私にとって、すでに大家となっていた高梨氏との初仕事はちょっと荷が重いと感じたのも事実。その懸念どおり、出国の際の手続きのまずさ、現地に入ってからもアポなし突撃取材の連続で、高梨氏はご機嫌斜めだった。おまけにホテルの部屋に置いていった試合撮影用の超望遠レンズが盗まれた。最悪の事態になったが、レンズは急遽日本から持ってきてもらうことで何とか乗り切った。
しかし、突撃取材は相変わらずで、ある時、私はアリの後をついていき、ホテルの部屋に一緒に入り込もうとした。高梨氏は一瞬ためらい、その間にドアは閉まってしまった。
やむなくその場は退散したが、後で高梨氏は私に「すまなかった」と詫びたのだ。それからは私の取材にすすんで付き合ってくれた。朝は苦手というのに、夜明け前の競馬場でのアリのロードワークもカメラにおさめた。そして、アリの部屋への突入をはたし、居合わせたファンたちとの記念写真までアリから頼まれた。
古武士を思わせる風貌の彼は現地の人から「サムライ!」と呼ばれたが、人柄もサムライのようだ。それまでのわだかまりはサラリと捨て、エンジン全開で試合当日を迎えたのである。
高梨氏にとってさんざんな仕事だったと思われるが、人づてに「あの仕事は面白かった」と言っていると聞き、私も救われる思いがしたものである。