トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ いつから「私」を意識しだしたか
外交評論家 加瀬英明 論集
日本にも「個人の時代」が訪れつつある。とくに一部の若者のあいだには、顕著なようである。
一流といわれるような企業にも、ちょっと突飛な服装をして、長髪ぎみで、上役にでも噛みつきかねない、あくの強いような話しかたをしながら、自分のペースで仕事をするような若者がしばしばみられるようになった。こういうような若者は自分の人生を心得ていて、私たちのような年長の世代とちがって、しじゅう他人の目の色を窺うようなことをしない。「私」を持った西洋型の人間像といってもよいかもしれないが、こういった新しい人種が育ってきつつあるのだ。
ホビー一つをとってもそうだ。年長の世代にとっては(もっとも若い世代のあいだでも女性には多いが)、趣味といえば稽古事であった。ところが「稽古事」というのは、きわめて日本的なものである。西洋であればプロとして身を立てようとしないかぎり、日本のようにアマチュアが根をつめて稽古することはない。そして日本における典型的な趣味である稽古事は、みなきわめて様式化しているので、個人の創造力が生かされるというよりは、様式に合わせねばならないので、それはそれなりによいとしても、自分を殺す没個人的なものである。結局は家元に金を投げ込むことによって、家元制度を潤うだけのことになりやすい。
ここ数年、〝ホビー論〟とか、〝ライフワーク〟、〝生き甲斐論〟をテーマにした本が売れている。もっとも自分の生きかたや、ホビーを本によって調べるということ自体、すでにテーマから外れてしまうことになろうが、「私」が不在であるから、どうしても他人にいってもらわなければならないのだろう。どうも年長の世代は、すべてを指示されなければならないようなのである。
互に周囲の人々の目の色を窺って、汲々として毎日生活してきた人たちにとっては、「私」は持ちにくいものである。日本人にとって「私」を持つことは、日本の文化的背景からいっても難しいのではないか。
私はオーストリア生まれの哲学者であるルドルフ・シュタイナーの著作集を読んでいて、ふとそう思いついたのだった。
シュタイナーはドイツに長く住み、人智学という新しい分野をつくった。また、パルドーフ学校運動の創始者としても有名である。シュタイナーは、こう書いている。
「幼児の成長過程の中には、周囲の環境に対して、はじめて自分を独立した存在であると感じる瞬間がある。
感受性に富んだ人にとって、このことは重要な体験となる。詩人ジャン・パウルは自叙伝の中で物語ってい
る。—『まだ誰に話したこともなかったが、私は自我意識の誕生の瞬間を決して忘れることができない。その
時間と場所ははっきり憶えている。或る朝、幼い私は玄関の戸口に立ち、左手の、積み重ねられた薪の方を眺
めたとき、自分が〈私〉だ、という内的ヴィジョンが、まるで稲妻のように、空から私に落ちかかり、それ以
来、その輝きはずっと消えることがなかった。あの時、私の自我がはじめて、そして永遠に、自分自身を見た
のだと思う。(中略)』
幼い子供は自分のことを、『カールは好い子にしているよ』、とか『マリーはこれが欲しいの』とか言う。子
供は自分の独立した本性をまだ自覚しておらず、自我意識がまだ育っていないから、自分のことを他人のこと
のように言うのである」 (『神智論』、高橋巖訳、イザラ書房)
幼い子どもは自分のことを「カールは積み木しているよ」とか、「マリーはお菓子が欲しいの」とかいうが、ある瞬間から自分を指して「ぼく」とか、「わたし」と呼ぶようになる。「太郎は」とか、「花子は」といっているあいだは、自分を他人のようにして扱っているというのだ。
私はいつから「私」という言葉を使うようになったのか、ここにでてくる詩人のような記憶はまったくない。しかしある年齢以上の幼児がたどたどしく話すのを見ていると、たしかに「私」というかわりに、自分の呼び名を言うものである。
個性の時代 ミーイズムのすすめ 一章「ミーイズム」のすすめ