トップページ ≫ 社会 ≫ 西田悠真ちゃんの死に思う~母であることの自覚
社会
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3か月の乳児が亡くなった。
病気でもない。事故でもない。
その死因は覚せい剤。思わず耳をうたがった。
抵抗のできない、話すことができない、赤ちゃんが、母親の知人に殺されたのだ。
母親もいた場所で。しかもラブホテル。知人以上のものとしか考えられない…。
子供の死後、二人の尿からは覚せい剤の陽性反応がでた。
殺人者である異常人間の知人と同様に、母親もまた、精神変容を起こしていたにちがいない。そうでなければ、子供の窮地、SOSに気づけたはず。
同じ母親として憤りを感じるとともに、涙を流さずにはいられなかった。
人生のわずかな期間。
母によって生まれ、母なしでは生きられない、ほんのわずかな幼き時。
ひとりでは何もできないからこそ、お母さんに託されている時期だ。
それなのになぜ、母は母として行動できなかったのだろうか。
先日、「コウノドリ」という産科外来を舞台にしたドラマが最終回を迎えた。
原作者の鈴ノ木ユウさんは、子供が生まれたときに感じた「人生においてこれ以上ない感動」から、この物語が生まれたと話していた。
私もあらためて、命の誕生の素晴らしさと重さを教えられた奥深いドラマであった。
誰でも母であれば、自分が宿し、その命が誕生したときに感動を覚えたはずだ。
そう、神からあたえられた贈り物がその瞬間、最高の宝物になる。
その宝物を守ることこそ、母としての使命だ。
子供を宿したときから女は母になる。いや、母でなければならない。
私たちは政治家でもないのでバッチをつけることはないが、母としてのその自覚と責任を重く痛感すべきではないだろうか。
「生まれてきてくれてありがとう」と言う気持ち。それはその子供にも必ず伝わるものだ。どんなに大変な子育てだったとしても、その子がまた親になったとき、「産んでくれてありがとう」という思いになるだろう。
そう、私たちは命のバトンをつないでいく使命があるのだから…。
古城 智美
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