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外交評論家 加瀬英明 論集
寺子屋では、道徳教育を施すのにあたり、『童子教』や、『実語教』が往来物として使われた。
『童子教』は平安時代の僧の安然がつくったと、伝えられる。「人以三寸舌 破損五尺身」(人は三寸の舌を以って五尺の身を破損する)とか、「過言一出者 し追不返舌」(過言〈注・失言>一たび出づればし追<注・いくら追っても>舌を返さず〉といった、児童が覚えやすい五言三百三十句からなっており、日常的な教訓を教えた。江戸時代に入ると、『新撰童子教』や、『替童子教』『金言童子教』などの多くの類書が刊行された。
『実語教』は平安時代から、江戸時代にかけて編まれた格言集である。「山高故不貴 以有樹為貴」(山高きゆえに貴からず、樹あるをもって貴しとなす)とか、「玉木磨無光 無光為石瓦」(玉磨かざれば光なし、光なきを石瓦とす)、「人而無智者、不異於木石」(人として智なきは、木石に異ならず)、「人而無学者 不異於畜生」(人として孝なきは、畜生と異ならず)といった言葉が、集められている。
『童子教』も『実語教』も、子供たちに因果の道理を教えた。ともに知恵を称えているが、近世の日本においてもっとも重要な初等教科書だった。『童子教』と『実語教』は明治に入っても初等教育の場で用いられた。
歌かるたである『百人一首』も、ひろく用いられた。『百人一首』は天智天皇から順徳天皇にいたる、百人の歌人の秀歌を百首集めたものである。
知恵や、情操がこもっていたうえに、人々を古典和歌になじませるのに役立った。江戸時代には「武家百人一首」「女房百人一首」「道歌百人一首」「英雄百人一首」などの多くの類書が出版された。
子供たちは、昔の中国や、日本の賢人、聖人、源為朝、源義経、北条時宗、楠正成などの名将や勇士や、さまざまな美談について教えられた。子供心に、聖人や、偉人に憧れた。
童話も、教訓にみちていた。あの時代にはテレビやコンピューターゲームがなかったから、俗悪な娯楽が家庭の中に土足で踏み込んでくることがなく、大人たちは醜いものを子供にみせずにすみ、教育環境が壊されることがなかった。
今日、公教育の場で『童子数』や、『実語教』や、『百人一首』が使われないのは、残念なことである。
そういえば、子供に読ませる偉人伝も、日本から消えてしまった。先の大戦に敗れるまで、子供たちは偉人伝を読んで育ったものだった。偉人たちの言動には、学ぶべき美徳がいくらでも見られるのに、悪しき平等主義がはびこり、向上しようとする成長期の心を押しつぶしてしまう。
いまの日本では、偉人の銅像を見ることもない。なぜか、裸婦の銅像が多い。裸婦は常夏で、温暖な地中海沿岸には似合うが、日本のように雪が降る国では寒々しくて、痛ましい。
(徳の国富論 3章 寺小屋と七千種の教科書)