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外交評論家 加瀬英明 論集
江戸時代の庶民は、賢明だった。民衆の教育水準が、世界のなかでもっとも高い国となっていた。
その理由は庶民の手によって、少年少女のために全国にわたって開設された「寺子屋」にある。この庶民教育は、庶民の自発的な意志によって普及した。
庶民は、武家に負けずに教育熱心だった。明治以後の日本の発展は、この江戸の庶民の知的水準が高かったことが力となった。
江戸期の日本は、知的な活力が漲(みなぎ)っていた。「身上かるき人も手習ひ算用はいふに及ばず、物よみ少し学びたきものなり」(『商人平生記』)、「百姓といへども、今の時世にしたがひ、各々の分限に応じ、手を習ひ、学問といふ事を人に聞て心を正し」(『百姓ぶくろ』)といった記述に、それが現われている。
寺子屋は初等教育学校であるが、庶民の活力を象徴していた。寺子屋は「儒学伝習所」とも称したが、幼童訓練所、訓蒙所、手習所などの看板を掲げていた。幕府は儒教を体制を支える官学として、採用していた。
寺が中世を通じて、子供の教育にあたったことから、江戸時代に入って寺とのつながりがなくなっても、通称、寺子屋と呼ばれ、生徒を「寺子」といった。寺子は手習子とか、手習子供とも呼ばれた。手習いは文字を習うことを、意味した。
男女ともに7歳か、8歳になると入学し、4年か、5年で修了した。寺子屋が市街にあったにもかかわらず、かつて寺が山中にあったことから、入学することを「登山」といい、卒業することを「下山」といった。
寺子屋では、手習師匠が子供たちに読み書き、算術に加えて、教訓、社会、消息、地理、歴史、礼儀作法、実業など教えた。女子には裁縫や、活花も教えられた。
なかでも、「徳」の育成が大切だった。孝行、正直、心のもちかたをはじめとする道徳を教え、敬語の正しい使い方と言葉づかい、学ぶ時の姿勢や、食事のとりかたをはじめとする礼儀作法を躾けることに力が注がれた。
礼節こそが、社会のしっかりとした縦糸を、つくっていた。礼節や、振る舞いには、心が宿っていなければならなかった。子供の心をつくることが、重視された。「三つ心、六つ躾、九つ言葉、十二文(ふみ)、十五理(ことわり)で末決まる」といわれた。
江戸時代は機械がなかったから、人が主人公だった。そこで、人づくりが大事だった。忠孝が人の道をつくっていた。
子供たちは「雀はちゅうちゅう(忠々)、烏はこうこう(孝行)」と唱えた。いたずらっ子にとって、雀も烏も手本になった。
寺小屋は、江戸や大阪で規模の大きなものになると、5百人から6百人にのぼる寺子がいた。寺子屋では「往来物」と呼ばれる、多様な教科書が使われた。今日残っているだけでも、7,000種類以上にのぼる。
(徳の国富論 3章 寺小屋と七千種の教科書)