コラム …埼玉の余話
・川口の市長選は5月にあるというのに、現職の岡本氏以外、対抗馬のポスターは見当たらない。一説によるとこの対抗馬氏は(前)衆議院議員の石田氏への確執からの出馬だという。どこにでもある話だが、一体骨肉の争いの原因はどういうところから来るのか?人間学や政治学の大きな課題だ。
・県南のある市長は「下座」の心を忘れたくないと自ら書した。しかし、「下座」の心を本当に持つことが出来たら、権力者は絶対に失敗しない。まず90パーセントの首長や県会・国会議員は「下座」の心を忘れてしまうのが世の常だ。「慢心」に足音は無く、この「慢心」と言う自覚症状のない病のために必ず倒れていく。
・埼玉選出の国会議員の某氏の言には思わず首をかしげた。「今回の渡辺喜美氏の離党は同じ自民党として許せない」。なんとこの某氏、過去政党を3回も変えて平然としている。渡り鳥政治家という己のことを忘れてしまったのか。そういえば鶏は三歩あるくとすぐものを忘れてしまうというではないか。
・自民党を離党した渡辺喜美氏の勇気は双手をあげて評価したいが、国民運動を展開していくという意味が今ひとつ響いてこない。大阪の知事に申し込みをすることはない。この際、全国を行脚して自分の主張を広く訴えるべきだ。方法を間違えれば、笑いものにされてしまうことがしばしばあると言うことを、しっかりと身につけて行動すべきだ。この際、国民運動は肩書きのある人は関係ない。物言わぬ草奔の人々こそ宝だ。
・これまた、埼玉選出の国会議員のA氏が言った。「本当は行革大臣は俺がなるところだったが、渡辺氏に譲った。だからあいつは許せない」と。
「何かみんな問題の本質を履き違えてないか。我々はこんなに危機意識を持っているのに、政治家っていい商売だな」有権者は厳しく見ている。