トップページ ≫ 社会 ≫ パリオリンピック開会式をみて 過激より包摂の精神を
社会
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パリオリンピック開会式での一部パフォーマンスが話題になっている。その中に自身の生首を抱えた赤いドレスの女性が歌うというものがあった。この女性はマリーアントワネットを想起させ、血しぶきを連想させる赤いテープや煙が噴き出すシーンも準備されていた。
フランス人、クーベルタン男爵が唱えたオリンピックの精神には「スポーツを通して心身を向上させ、文化・国籍などさまざまな違いを乗り越え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって、平和でよりよい世界の実現に貢献すること」とある。特に世界に向けてこのメッセージを届ける開会式イベントとしてこの選択はどうなのだろうか。ちなみにネットでの評価は好評価が勝っているようだ。「攻めている」、「コンプライアンスのうるさい中、この内容を具現化した精神が素晴らしい」「日本なら炎上」などなど。
ヨーロッパの人々は人の活動に対してとやかくいう、いわれるのを嫌うという。その為、日本から見ると事前段階で賛否両論が巻き起こるであろう事が想像に難くなく、事前に自主的検閲が入るような過激なパフォーマンスが実際に行われる。もしその後問題が起これば追って対応をするという考え方のようだ。
王政を打倒して共和国を打ち立てたフランス、その立国の精神からするとこのパフォーマンスは違和感なしに受け止められるのかも知れない。しかし世界には未だ多くの王国があり、そうした立場、またそれを支持している人たちがこれを見た時にどう感じるのかに想いは馳せられていたのだろうか。
これが先に挙げたクーベルタン男爵の「平和でよりよい世界の実現に貢献すること」の精神に沿っているといえるのだろうか。過激より包摂を、違いを主張するのではなく、共通項を見出す社会をと願う。
和を以て貴しとなす
小松 隆